政治の腐敗、独裁者の台頭、SNSが生む憎悪の連鎖――。真山仁の最新長編小説『オペラティオ』は、現代日本のリアルな病巣を鋭く抉り出すノンストップポリティカルフィクションだ。金融担当大臣が銀座で刺殺され、遺体に「ざまあ」と書かれたメモが残された事件を発端に、若き政治家、エース新聞記者、公安調査庁の敏腕分析官、過激な野党党首――それぞれの思惑が複雑に絡み合いながら、日本社会が少しずつ崩壊していく様が描かれる。一気読み必至の『オペラティオ』より、プロローグの試し読みをお届けする。


 プロローグ

 

「政治とは、約束――。学生時代に、ある政治家から聞いた言葉を、今も大切にしています」

 白石望しらいしのぞむは二〇人ほどの若者を前に語っていた。

「君たちは、今どきの政治家はみな無責任だと思っているでしょうね。実際、二〇年間、政治家に仕えてきた私自身もそう思っています。でも、政治はとても重要です。

 なぜなら、政治だけが未来を築けるからです。複雑かつ多様化が進む社会の中で、可能な限り全ての国民が納得できる仕組みを構築することを、政治と呼ぶからです」

 本当に、そう言えるのだろうか……。

 人間の欲望は独善的で、尽きることを知らない。ならば、多くの国民を一様に納得させる仕組みなど存在し得ない。それでも、生きづらさを抱える人のいない社会を、築きたい。少なくともその道標を提示したい。

 それこそが、政治の存在意義であり、政治に関わる者の矜恃きょうじだと、白石は信じている。

「約束とは、政治に携わる者が、支えてくださる人たちと結ぶ信頼の証です。約束は、公約とは違います。公約とは、所詮はきれい事に過ぎません。しかし、約束は、互いを結ぶ絆ですから、疎おろそかにできません。しかも、一方通行のものではない。政治に携わる者が約束を口にしたら、支援者はその約束が成就できるように、見守り、時に𠮟咤しったする努力をしなければなりません。

 この相互の信頼関係が構築できて初めて、民主主義という仕組みが機能します。だから、約束はとても大切なのです」

 ここに集まった若者は、白石が代表を務める政策シンクタンク「日本フェニックス研究所(JPI )」に関心を持ち、より良き社会実現のために行動したいという志を持っている。

「希望とは、未来の現実でなければならない。でも、実際に、希望を現実にするのは、至難の業です。今、何が問題なのかという疑問を持ち続け、その問題解決のために努力し続けた先に、希望は生まれます」

 白石は、かつて官邸に身を置き、カリスマ的人気を誇った総理大臣のブレインとして、現実の問題解決のために奔走したことがある。

 その後、再び研究職を経た今は、二つの活動に注力している。

 一つは、最大野党である希道党きどうとう党首の特別補佐官、もう一つはJPIで多くの若者に政治参加を求める活動だ。

 一般に若者は、政治に無関心で、彼らの人生における最重要事項は、お金だと言われている。しかし、JPIで学生たちと接する一〇年の間に、「日本が沈没するのを何もせず見ているわけにはいかない」という若者が増えてきた。

 そこで白石は、三年前から志ある若者のための政治家養成塾を始めた。

 塾の名は、志を高めるという意味から「志高しこう塾」と名付けた。

 この日は、新塾生の入塾式だった。

 入塾式には、第一期、二期の塾生七人も参加している。過去二回総勢三五人の参加者から選抜された精鋭で、社会問題を抽出し、それを解決しようと活動し数年後の国政選挙への出馬を目指している。

「皆さんは、本日、晴れて私たちと同じ場で、日本の未来を切り拓く志士となりました。まずは、身近なことから問題を見つけ、それを解決する方法を一緒に考えていきましょう」

 この三年間、白石自らが率先して行動し、志高塾が社会に及ぼす影響力も徐々に大きくなってきた。

 政治的な影響力とは、何よりも「数」だ。その数を増やすために必要なものこそ、斬新かつ胸に迫る「約束」だ。

 政治とは、約束――。

 そして、約束とは、インパクトだ。

 全てを守る必要はない。なぜなら、大半の人は、すぐに約束の中身を忘れてしまうからだ。

 自分たちが数ある約束の中から一つでも成果を上げた時、声高に言えばいい。「私たちは、皆さんとの約束を果たした。これぞ、政治的成果なんです!」と。

 

*

 

「ある政治家が言いました。言葉とは、力だと。但し、その言葉とは、耳に心地よいワンフレーズではなく、思いの丈たけが籠こもったものであり、行動を促す勇気でもある――」

 暁光ぎょうこう新聞社の新人研修で講義しながら、神林裕太かんばやしゆうたは久々にその人物のことを思い出していた。

 確かに、あの人の言葉は力だった。そこには信念があり、それに突き動かされて彼が突き進んだ軌跡は、日本の政治史の中でも出色だった。

 新聞記者となった今、神林は、その言葉には懐疑的だ。

 すくなくとも日本のジャーナリズムは、力のある言葉を持てなくなった。

 何しろ、俺たちは“マスゴミ”なのだから。

 だが、目を輝かして研修を受けている新人たちは、ジャーナリズムの幻想を今だに信じているようだ。

「世間からは、“マスゴミ”と言われて久しいが、そんなものに怯ひるむ必要はない。我々は、正義の味方でもないし、権力者でもない。ただ、自分の目と耳で知った情報を読者に伝えるだけのデリバリー係に過ぎない。それでも、まじめに仕事をすれば、権力者の不正を暴き、社会の歪みを指摘できる」

 そこで、スクリーンに投影されていたスライドが変わった。映し出されたのは先週、神林が書いたスクープ記事だ。

 与党民自党内で飛ぶ鳥を落とす勢いの金融担当大臣の不正を暴いたものだ。外資系の証券会社が一般投資家向けに発売した金融商品が、大臣の後押しを受けて、爆発的な売上を上げるに至っていた。ところが、その商品にはからくりがあり、ほどなく大暴落した。

 神林は、大暴落の前日、大臣が自身の保有商品の全てを売却し、莫大な利益を得ていた事実を摑んだ。

 さらに、この商品の認可を巡って、外資系証券会社から請託せいたくを受けた大臣が金融庁に働きかけをした疑惑が持ち上がり、東京地検特捜部が重大な関心を寄せていることをまとめて記事にした。

「自慢するために見せているわけじゃない。これを例に取材から原稿執筆までの過程をお伝えしようと思います」

 この記事を、編集局長は「権力の監視を使命とする新聞社の面目躍如めんもくやくじょたるものだ」と褒めた。まさしく「言葉は力」だった。

 だが、スクープの数よりはるかに多くの失敗をし、時には命の危険を感じた経験もある神林は、言葉は、もっと別物だと考えていた。

 言葉とは、ハサミだ。使いようによっては武器になるが、誤れば凶器になる。神林としては、使う者次第だと言いたいところだが、実際は、武器になるか凶器になるか、誰にも分からない。

 それが面白くもあり、怖くもあるのだ。

 

*

 

 情報は、切り札だ。

 だが、待っていれば配られるわけではない。自ら動き、リスクを取り、情報源アセットと信頼関係を結ばなければ、真の切り札はモノにできない。

 長谷川晶はせがわあきらは、部署が変わっても貴重なアセットとの接触を欠かさない。籍を置く公安調査庁では、アセットは異動時に後任に託すのが原則だが、長谷川は“個人的なつきあい”として関係を保持している。

 地下に設えられた部屋で、二時間にわたるシューティングゲーム対決を終えた長谷川に、ケンが缶ビールを差し出した。

「晶さんは、就職先を間違えたと思うな。絶対、警視庁で特殊急襲部隊SATに入るべきだった」

 未だに男社会である警察は居心地が悪そうだったし、それ以上に昔から映画や小説のスパイに憧れていたので、公安調査庁を選んだ。長谷川は、公調は日本で唯一の諜報インテリジェンス機関だと思っている。

「その言葉は、そのままあなたに返す。ケンさんこそ、警視庁に入れば良かったのに」

「冗談でしょ。僕は大の権力嫌いですから。集団行動を強要されるくらいなら、死んだ方がましですよ」

 日本屈指のゲームクリエイターであり、天才ハッカーでもあるケンは、彼らの業界では珍しくアクティブで社交的な男だ。

 二人が知り合ったのは、オンラインで開催されたシューティングゲームの世界大会だった。

 ケンと長谷川は、準決勝で対決し、長谷川が圧勝。それが縁でリアルでも会うようになり、ケンは貴重なブレインとなった。その彼から久しぶりに連絡が来た。

 “一勝負、どうですか”

 本庁の調査第一部第二課という分析担当に異動になってから、外回りの時間が限られていた長谷川には、願ってもない誘いだった。

 それに、ケンはただ遊びたいという理由では、自分を誘わないはずだ。“勝負”だけならオンラインでできるのだから。

 ケンが自宅地下に作ったゲーミングルームは、徹底した防音、防電波を施してある。

 ケンに言わせると、最も情報が守られるのは、盗聴防止が施された密室内での会話だという。ネットや電話は、どれほど防御しても、必ず破られる。

「今話題のバカ大臣って、調査対象なんですか」

「堂上誉志彦どのうえよしひこのこと? いえ、違うけど」

「ケンブリッジ・アナリティカって会社知ってます?」

「トランプを大統領に押し上げ、英国のブレグジットを実現させた選挙コンサルでしょ?」

 膨大なデータを解析し、隠れたパターンを浮かび上がらせるデータマイニング技術を用い、特定の層をターゲットにフェイクニュースを流す手法で、依頼者の望みを叶える企業として話題になり、一時はもてはやされた。しかし、不正に個人情報を入手したなどの問題が発覚して、倒産している。

「それをバージョンアップした類似会社が結構できてるんですが、中でも、最有力と言われている企業が、民自党と契約したって噂があるんですよ」

 公安調査庁の調査対象は、破壊活動防止法が適用される可能性のある、国家の安寧あんねいを脅かす団体で、手続を踏んで指定される。当然、政権与党である民自党は、ノーマークだ。

「それと、堂上がどう繫がるの?」

「その会社を、民自党に引っ張り込んだのが、堂上氏だとか」

 長谷川はウェブサイト上の脅威分析の担当者だ。ケンはそれを承知で、この情報を提供している。

 民自党は調査の対象ではないが、ターゲティング広告やフェイクニュース、さらには市民を洗脳するようなSNSについては、積極的な調査と分析をする必要がある。

「民自党が、そんな怪しい会社と組むメリットなんてある?」

「そりゃあ次の選挙を心配してでしょう」

 公安調査庁の選挙予想は、メディア各社より正確だ。次期総選挙では、民自党が過半数割れする可能性があるという分析文書を、回覧で読んだ覚えがある。

「元々、民自党はSNSを利用した選挙活動に熱心でしょう。ネトウヨの連中を動員してリベラル派を潰させたり、総理をひたすら持ち上げるアカウントをいくつも作って、支持率に影響を与えてきました。その陣頭指揮を執っていたのが、堂上氏なんですよ。

 だから、スキャンダルが表沙汰になっても、総理は彼を切れないらしいですよ」

 公調の方針は、調査対象外に手を出してはならない、だ。

 とりあえずは民自党ではなく、その怪しげなコンサルから調べてみようか。

 好奇心が動く一方で、面倒だから近づくな、というアラートが鳴っている。

 このアラートを無視すると、痛い目にあう。

 情報はジョーカーだ。時には、手にした者を破滅させることだってある。

 それでも、入手しなければ、切り札になるかの判断もできない。

 

*

 

 政治とは怒りだ。

 闘う政党パトリの党首葦原政子あしはらまさこの演説を聴く度に、三宅拓哉みやけたくやは実感する。

 初めて彼女の「辻立ち」を聞いたのも、今日と同じ、秋葉原駅前のロータリーだった。

 高校時代、ロックはメッセージだと思って始めたバンドが、思いがけず高評価を受け、メジャーデビューも夢じゃないというところまでいった。ところが、信頼していた業界プロデューサーに裏切られて、夢はあっさり潰ついえた。

 転落の日々が続いた。のたうち回り、誰かを殺すか自分を殺すかとまで行き詰まった時に偶然、彼女の演説を聞いたのだ。

「そこのあなた! いつまで大人しく、悪徳政治家や金持ちの犠牲になってるの。

 怒りはどうしたの。あなたのプライドはどこに行った?」

 恰幅の良いオバさんが、拓哉を指差しいきなり怒鳴った。

 拓哉は戦慄せんりつした。とっくに捨てたはずの何かが、心の中で一瞬だけ光を放った気がした。最後まで彼女の演説を聞いた。

「オバさん、チョー共感しました。震えました」

 その日のうちに闘う政党パトリの仲間アミになった。

 

「拓哉、いっちょう頼むわ」

 はち切れそうな体を、真っ白なスーツで包んだ葦原が、拓哉に言った。

 拓哉がギターでイントロを弾き始める。

「いつまであいつらの勝手を許す?

 怒りはどうした?

 おまえのプライドを叩き起こせ」

 ヴォーカル担当の亜紀あきの迫力のハスキーヴォイスが、駅前に響き渡った。

 その歌声をBGMに、葦原は演説を始める。

「先週、またもや嵯峨さが政権の重要閣僚の一人が、とんでもなく悪い奴だったと明らかになったのは、皆さんも知ってるよね。

 そいつの名前は、堂上誉志彦! 堂上誉志彦!」

 伝えたいフレーズは連呼する。

「堂上は、PG社の社長と友達で、自分だけ抜け駆けして大儲けしたんだ。嵯峨総理が、堂上を切れないのは、甘い汁を吸いたいからだ!」

「上級国民をぶっ潰せ!」

 拓哉らが、拳を上げると、反響があった。

「金持ちが、立場を利用して私腹を肥やすのを許していいのか。

 いや、許せるわけがない!」

「許せるわけがない!」の連呼が始まった。

 怒りの感情は、周りの人間を巻き込んでいく。そして、怒りをぶつけてもいい相手を見つけた瞬間、全員が一斉に攻撃的になり無敵の破壊力を持つ。

 怒りは、最終兵器だ――。

 だがこの時、拓哉は大切なことを知らなかった。兵器は使い方を間違えれば、使った側が破滅するということを。

 

*

 

 事件は、何の前触れもなく起きた。

 午後一一時過ぎ、東京・銀座七丁目の雑居ビルのエレベーターから、身なりの良い男が、二人のホステスと腕を組んで出てきた。

 さして広くないエレベーターホールで、黒装束の何者かが、いきなり男に突き進んでいった。

「おい! 何だ!」と男は抗(あらが)ったが、バランスを崩して仰向けに倒れた。馬乗りになった人影は、「死ね! 死ね!」と喚わめきながらナイフを男の胸に何度も突き刺した。

 女たちの悲鳴が響き渡る。

 騒ぎを聞きつけて、あちこちの店から野次馬が出てきた。その一瞬、ホールのライトが不審者の顔を照らした。

 真っ赤だった。不審者は野次馬連中を嘲笑あざわらうかのように平然と、紙片のようなものを胸から取り出して動かなくなった男の上に置いた。

 それからアーミーナイフを両手に持ち、胸に当て、そのまま前に倒れた。