「愛されることを望む」ではなく「愛することを望む」。茉莉緒と海は、それを知っていたのかもしれない。
一九七八年、私は、恩師、平尾昌晃先生とのデュエット「カナダからの手紙」でデビューしました。高校受験の時、私立高校に受かり、都立高校の試験日に友だちと原宿へ遊びに行きスカウトされたのがキッカケとなり、平尾昌晃歌謡教室に通い始めたのが十六歳の時。デビューするまでに二年半は、早い方かもしれませんが、それでも、それまでは、たくさんのオーディションを受け、落ち続けていました。
「カナダからの手紙」の平尾昌晃先生のデュエット相手を選ぶオーディションで私が選ばれた理由が、「平尾先生と声質が合う」「平尾先生と背丈が合う」、この二点。
「カナダからの手紙」の大ヒットのおかげで、デビュー以来、寝る暇もなく、お仕事をさせていただいたわけですが、最初に私についてくれたマネージャーは、中学卒業後、大物歌手の付き人をし、既に二十年のキャリアを持つ、凄腕の男性マネージャーでした。
朝は、「お化粧が濃いんじゃないの」「もう少し、可愛い洋服が着れないかな」「衣装の下の下着はベージュにしなさい」と、私のお化粧と服装のチェックから始まります。まだ十代の私は、「うるさいな」っと思いながらも反論はできず、お説教が済むのをジッと待つしかない日々でしたが、今、思い返せば、マネージャーとしては、当たり前のことを言ってくれていたんだと、感謝しています。このマネージャーは、先方が番組スケジュールを入れてくれるまで、その局担当のデスクから離れないと言うことで、業界でも有名で、私のテレビ、ラジオ等の露出が多かったのは、「カナダからの手紙」のヒットのおかげもありますが、このマネージャーのおかげでもあると思っています。
その後、何人ものマネージャーに担当してもらいましたが、私にしてみれば、マネージャーというよりは、付き人のような存在でした。一方で、女性のマネージャーは、私よりも前に出たがるマネージャーが多く、二人三脚で「畑中葉子」を作り上げていくという感じにはなりきれずに終わってしまったように思います。
本書のなかに、茉莉緒が先輩マネージャーである冴子と洋子と、今後の海の仕事について話をするくだりがあります。あのような会話は、現実のマネージャーの間でも、頻繁にかわされていると思います。とくにこの場面では、男性マネージャー同士では見られないであろう、女性の独特の嗅覚に基づく感覚的な言葉の羅列が印象的です。それぞれの海に対する、女として、マネージャーとしての愛と計算。柴田よしき先生は、ともすれば、辛辣でいやらしいだけになりかねない女性の性をサラッと、その余韻だけを香らせては、女性の内面を美しく描いていきます。これが、私を柴田先生の著書から引きつけて離さない理由でもあると思います。
私自身の経験についていえば、「カナダからの手紙」を含め、四曲のデュエット曲をリリースした後、一年で平尾先生とのデュエットは解消することになっていました。その後、私としてはソロで頑張ろうと決意したのですが、別の男性とのデュエットを組ませたい事務所との間に齟齬が生じ、最終的には事務所から、「ウチとしては、畑中葉子がほしかったわけではなくて、『カナダからの手紙』がほしかっただけなんだよ」という言葉を投げられました。
その時、私は、まだ十九歳。泣きましたね。「これが、ザ・芸能界か」とも思いました。しかし、私は、諦めませんでした。事務所に食い下がり、ソロでのデビューを決めたのです。ソロで活動を始めてみると、平尾先生がご一緒くださったときとは違い、いきなりの新人扱いで、改めて平尾先生の力の大きさを思い知ることになりました。
ソロになって上手くいかないことばかりが起きて、自分だけでは、どうすることもできなくなって、言い方はよくありませんが、私は男性に逃げてしまいました。事務所に知らせずの入籍。そのときは、結婚した相手しか、私のことを理解してくれないんだと思いこんでいました。これが、二十歳の時。
恋雨
発売日:2014年02月14日