船曳由美さんは、雑誌「太陽」に創刊時から携わり、長年にわたり編集者として活躍してきた。栃木県の足利に生まれた母の生涯と故郷の四季折々の行事を書いた『一〇〇年前の女の子』、山形県・黒川能の貴重な記憶と記録『黒川能』の著書がある船曳さん。この度ゆかりのある足利市立美術館に、共に仕事をし共鳴した8人の写真家たちの作品、彼らから託された古美術、絵画、書画などを寄贈した。
土門拳、石元泰博、薗部澄――彼らの写真の背景には、ものや人との出会い、そこから紡がれる物語がある。船曳さんに、展覧会〈8人の写真家たち「船曳由美―小さきコレクション」を核として〉について、お話を伺った。
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戦争は本がなくなることだった
――船曳さんは母テイさんの故郷、足利郡筑波村高松に、昭和19年夏から終戦後まで疎開をされたのですね。どのような幼少期を過ごされましたか。
船曳 当時6歳でしたが、いまでも原体験として記憶に強く残っています。疎開をするときに、絵本を1冊も持っていけなかった。今も探している、終生忘れえない1冊の本があります。「業平物語」を子ども向けに書いたものです。戦争が終わって東京・世田谷の家に帰ってきたら、子どもの本は1冊も残っていなかった。留守番をしていた人が、焚き付けに使ったのね。父の坪内逍遥訳の「シェイクスピア全集」は残っていました。
私にとって、戦争というのは、まず本がなくなること。だから物に執着する子どもでした。戦争の被害に遭った人、家族を亡くした人には、本ぐらいなんだ、ですが。
――幼いころから、本に親しんでいらしたのですね。
船曳 疎開する前はカトリックの幼稚園で、クリスマスが楽しみでしたが、戦争で、サンタクロースはいないということになった。小学2年のとき、戦争が終わったからまたサンタさんが来るかもしれない、と思って、クリスマスイブに目が覚めた時、そーっと両手を枕元に伸ばしたの。何かに触った。それが『ニルスの冒険』。父からの最初で最後の贈り物でした。
小学4年生の頃の一番の愛読書は、母の本棚にあった長塚節の『土』。読むと、からっ風が夜じゅう吹き荒れる高松村を思い出します。私の原風景です。
大学生のとき最も影響を受けたのは『ものいわぬ農民』。岩手県北上山地の農村を古着の行商をしながら歩き、「岩手の保健」という雑誌を独りで編集していた大牟羅良が、囲炉裏端で聞いた農民の“声なき声”をまとめあげた本です。私は日本の農村の現実を強く意識しました。十数年後に、今回紹介する8人の写真家の1人、大村次郷さんの叔父と知りました。ご縁ですね。
――本のほかに、好きだったもの・よく覚えていることはありますか。
船曳 五感を働かせるのが好きな子供でした。美しい絵とか、母の着物の青紫色の端切れ――大好きなりんどうのような色でしたが、いまでもはっきり覚えています。
――東京大学文学部を卒業後、百科事典で有名な平凡社に入社されました。
船曳 男女雇用機会均等法が出来るずっと前です。そのころ、四年制大学を出た女性が就職出来るとしたら、官僚や銀行。でも私は管理をする仕事は無理です。
一般公募をしていた平凡社を受けて、昭和37年に同期3人と入社しました。その一人がのちの海野弘でした。東京オリンピックの2年前で、NHKは120人くらい採用したという。女性はゼロ。
創刊号の準備部署に配属。誌名の社内公募で「太陽」と書いて出し、採用されました。そのとき編集長だったのが、民俗学の谷川健一さんです。「ライフ」や「パリマッチ」のような、写真が綺麗な大型のグラフィック雑誌を目指しました。
――担当された連載「女ひとりの旅」で、日本の様々な土地で出会った人や暮らしを紹介するページを作ります。それから「8人の写真家たち」につながる、様々な写真家との交流がはじまったのですね。
船曳 この8人の方たちの写真に、ずーっと共感してきました。心が通い合わなければ、1年間の取材なんてできません。
土門拳先生の「東大寺・お水取り」は、東大寺の1年間を10回くらいにわたって撮っていただいた。撮影の許可を得るための交渉に駆けずり回ったり、撮影中に参拝者の往来を止めたり。とにかく何でも1人でしなければならなくて、それは苦労しました。
土門拳から教わったこと
船曳 土門先生からは「ものを見る眼」を学びました。京都の骨董屋で北大路魯山人展をやっていました。この水指はどうでしょうかと先生にお聞きしたら、「よし」と。合格っていうことです。そのときに手に入れた〈手桶花入 備前土〉を、今回の展覧会で展示します。
――この土門先生からいただいたという書も、素晴らしいですね。
船曳 「燦」は、土門先生が好きな漢字です。いかにも土門先生らしい書でしょう。
陶板は、土門先生と出雲の舩木研兒の窯を訪ねたときに、買ったものです。布志名窯はバーナード・リーチが修業をした窯として知られています。この色、素敵でしょう。
――写真家の方たちにいただいたもの、思い出の品が船曳さんのお宅には膨大にありますが、壁に飾ったり机や箪笥に置いたり、日ごろから目に入るところに置いていらっしゃるのですね。
船曳 こういうものを取っておけたのは、高校の同級生の建築家・富田玲子さん(象設計集団の創始者の1人)が、家を設計するときに収納庫や飾る場所をたくさん作ってくれたおかげです。どこかから帰ってきて、ああ、あそこにあの写真がある、あの絵があの場所で待っている――それが私の「落ち着き」になっています。
――「太陽」1966年2月号では、庄内・春日神社の氏子によって500年以上にわたり継承されてきた黒川能を特集し、大変評判になりました。こちらも船曳さんの企画ですね。
船曳 東京オリンピックで日本中が沸きたっているときに、山形の詩人・真壁仁の詩で黒川能を知り、この村に行きたいと強く思いました。取材をするうちにどんどん大がかりになり、日にちもお金もかかって上司から怒られもし、でも「仕方ない」で済ませてもらいながら、合わせて75日間、村に滞在しました。五十嵐権治郎さん宅に、お世話になりました。もう、娘っ子ね。カメラマンの薗部澄さんには、旅館に泊まっていただきました。
薗部さんは日本の故郷・風土を撮りつづけた写真家。どの1枚を見ても、ここに行ったことがある、という気持ちになります。この〈黒川村より月山を望む〉、いい写真でしょう。2020年に刊行した『黒川能 1964年、黒川村の記憶』のカバー写真に使いました。
――激務で体調を崩されたこともあったようですが、編集者として、忙しくも充実した日々を過ごされましたね。
船曳 毎日夜まで働いて、そのあと新宿で大勢で呑んで、どんなときも小田急線の最終電車で帰る。それが当たり前でした。
「太陽」創刊のときは、編集部員がなんと35名いました。『百科事典』の編集部や美術全集、考古学大系、教育学事典といった部署から人が集まる。みな1人1冊本を書ける教養と知性を持った人の宝庫でした。その人たちが“無学”の私に教えようとする、それは大変でした。
顧問の林達夫先生は皆に尊敬されている方ですが、随分可愛がっていただきました。「林先生は大切な人で1分の無駄も出来ないのだから、お前と喫茶店でお茶を飲んでいる暇はないんだよ。気をつけなさい」と、言われましたね。
船曳 みやこうせいさんのルーマニアの写真、素晴らしいでしょう。みやさんは盛岡のご出身。農牧民の風習、伝統、生活に魅せられて、半世紀以上ルーマニアに通われた方。この「村の牧夫の娘 マリア 1990年」は、5歳の少女が羊に向かって「ママのところへいらっしゃい」と話している。この歳で既に2匹か3匹受け持たされているのね。みやさんとは、ルーマニアへも何度かご一緒しました。
この舩木研兒のピッチャーは、廊下の本棚から、いつも眺められるように移したのです。それも陶板を買ったときの第一の買い物です。土門先生にほめられました。
見るたびにいいなあと思う。私が死んだらどうしよう、と考えたとき、急に執着心がわいたの。骨董屋が来てわーっと分類して、先ほどの魯山人も何もかも、散逸してしまうかもしれない。そうしたら、私が持っていたことの意味がなくなってしまう。
「これいいですね」と土門拳の眼を通ってきた、「ものを見る眼」の眼を大事にしたい。そしてその作品を作った人の思い――ゴミにしては申し訳ない、という気持ちでした。
『一〇〇年前の女の子』に書きましたが、実の母を知らず継っことして育った母は、足利女学校に入れたことで、人生を救われたと思うのです。その母のふるさとである足利の美術館に、大切な品々を寄贈し、皆さんにこうして見ていただく機会をつくれた。感性が響き合って共鳴してくれた足利市立美術館のキュレーター・江尻潔さんのおかげです。
――今回の展示で、見ている方に何を一番伝えたいですか。
船曳 一つは、写真の素晴らしさ。一瞬が生きとどめられて、言葉では表せないものも、写真では伝わります。
もう一つは、それを言語化する必要がある――これは今回の展示にあたって私がしていることです。言葉を大切にしたい。言葉をもっている人たちを、私たちは顧みなさすぎる。結局はその人たちが書いた本にたどり着きます。書物のもつ力を通して、いま世に忘れられたかに見える人、詩人、作家、評論家、学者といった人たちへの卒塔婆を立てているような気持ちです。
私は平凡社と集英社で学恩、社恩を受けたと思っています。学ぶことから感じる恩、会社から受けた恩、人間の集まりが作り出したものから受ける恩それが「太陽」が象徴しているものです。そこで私の人生が育てられました。編集者だったから、いろいろな分野の人と出会い、仕事をしてきて、こういうものが集まった。その証のようなものを展示したい。それは結局、日本の文化をもう一度振り返って考えることになります。
ぜひ多くの方に、足利市立美術館に足を運び、展示を見ていただきたいのです。
INFORMATION
〈8人の写真家たち 「船曳由美―小さきコレクション」を核として〉
2026年9月5日(土)―12月27日(日) 足利市立美術館
https://www.watv.ne.jp/ashi-bi/








