前編「ご先祖様への敬意、四季の豊かさ、失われた故郷の原風景」より続く
養女に出された哀しみ
船曳 今回は文庫版のカバーを安野さんに描いていただきました。安野さんの描くテイは、梯子でイチョウの樹に上って、とても楽しそう。
テイは生まれてすぐに実の母親と引き離され、ヤスおばあさんが背負って、もらい乳をして育てました。五歳の頃には養女に出され、水汲み、炊事、畑仕事と働かされました。
イチョウの樹は、特に母にとって辛い思い出なのです。秋になると、毎日銀杏を拾うのがテイの仕事でした。ザルに入れて川の流れにつけ、白い粒になるまで素手で洗いあげる。山芋でもかぶれる母には、顔じゅう、身体じゅう真っ赤になる大変な作業でした。このカバー画の中ではじめて「わぁ、高ぁーい」と、テイは子どもらしい喜びの声をあげることが出来たのです。
安野 うちの実家は宿屋なのですが、子どもを養子に出す日、最後の晩餐にきた家族がありました。わたしが庭で遊んでいると、縁側の上がり框(がまち)で、出す親と、迎えいれる里親が向かい合って、子どもは真ん中に憮然とした表情で立っているんです。
もらう側のお母さんが、「学校に行かせてあげる」とか「今すぐお母さんと呼べと言ってるんじゃないよ」などと話しかけているのを見て、子どもだったわたしにも、何が起こっているのか分かりました。なんだか哀れだった。
船曳 テイの父親の後添いであるイワおっ母さんは、自分の子に家を継がせるのを条件に嫁いだ。ですから、前妻の子であるテイを養女に出さざるを得ませんでした。
でも、母は養女になっても、その家には馴染まなかった。母には自分の理不尽な宿命を決して受け入れまいとしているような強さがありました。数えで七歳の秋に、高松村の父親が冬物の着物をもって訪ねてきたとき、テイは父親にお茶をだしたあと、お盆を脇においてキチンと坐り、ずっと下を向いていた。でも、小さな握り拳を膝の上に乗せ、声を出さずに後から後からポタポタと涙を落としていた……。それを見た父が、ああ、これは連れて帰らなければ駄目だと思ったそうです。
安野 この場面はもらい泣きします。
船曳 当時は男の子が生まれない家はたとえ長子が女子でも籍を移せないという法律があると、役場から知らされたそうです。そのお蔭で母は寺崎の家に戻ることができた。母はこの法律のことを死ぬまで「御法(ごほう)」と呼んでいました。
安野 今回文庫版を出すにあたって、新たにテイの足利高等女学校時代の写真などを足して加筆しているそうですね。実は、この本を読んだとき、「足女」というのが分からなかった。アシオンナって何だろう。お手伝いさんのことかなと思って。
船曳 卒業生がそれを聞いたら、憤死してしまいます(笑)。昔の女学校は、福島の磐城高等女学校は磐女(バンジョ)、館林高等女学校は館女(タテジョ)(または館女[カンジョ])と略しますでしょう。足利高等女学校は「足女(アシジョ)」。大変な誇りなんです。
安野 山口県の防府高等学校は、山口では「ホウフ」と読むのだけれど、省略すると「ボウコウ」になっちゃう。卒業生で元NHKの山根基世さんが言っていました(笑)。バス停はボウコウ、コウモンマエ(笑)。
船曳 まあ、ひどい(笑)。
安野 テイは女学校を卒業後、十六歳で東京に出て「工手学校」という製図学校に通う。関東大震災後の建設ラッシュの時代ですから、カラス口で図面を引くことができれば生活には困らないのに、テイはお金を貯めて、さらに女子経済専門学校に夜学で通い始める。それほど勉強がしたかったんだなと思いました。
船曳 女子経済専門学校は新渡戸稲造(にとべいなぞう)が校長でした。この学校の教授陣はとても豪華で、大正デモクラシーの立役者の吉野作造(よしのさくぞう)、民法学者の我妻栄(わがつまさかえ)がいた。朝日新聞の下村海南(しもむらかいなん)、桜蔭学園の初代校長の後閑菊野(ごかんきくの)、恵泉女学園創立者の河井道(かわいみち)、女性の社会進出の道を切り拓いた市川房枝(いちかわふさえ)も特別授業を持っていました。女性も一日中台所にいるのではなく、社会に出ていくための教育を施されたのです。
安野 実はこの本を読むまで、わたしは副校長の森本厚吉(もりもとこうきち)を知らなかった。新渡戸が説いた「自分の頭でものを考えること、目前の義務を果たすこと、他者に寛容で、つねに公に尽くす」。これが「武士道」であるという教えは意味が深いですね。
いま、本当に自分の頭でものを考える人が少なくなりました。テレビでこう言っていたとか、新聞にこう書いてあったとか、メディアが報じていることを自分の頭で考えず、うのみにしている人もいます。
船曳 教育は記憶力ではなくて、考える力なんですよね。
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