この物語の主人公寺崎テイが生まれるのは、明治四十二(一九〇九)年のこと。
歴史年表に照らしてみると、日露戦争と第一次世界大戦の狭間の時期にあたり、首都東京あたりでは、世界の列強の仲間入りをしたとか、しなければならないとかいった空気が濃厚で、赤坂離宮、赤煉瓦の東京駅などの立派な近代建物が竣工したり落成したりして、街の表情を変えて行った時期にあたる。
一方、テイのふるさとは、栃木県足利郡筑波村にあった高松という小さな村で、そこには都心に流れる近代化の空気とは違う、牧歌的な時間が流れている。土地の人々と生活のありようは、高度成長と列島改造の波が日本を覆い尽くすことになる以前、前世紀の半ばごろまでは、土地ごとの風習や食文化の差はあれ、ある程度は、人々に共有されたものだったのではないだろうか。それは同じく関東平野に生まれ育った、私の父や祖母の、幼いときの思い出の光景に近いのではないかと、父や祖父母の記憶をたどるような気持ちで読み終えた。
そのような感慨を惹き起こす理由の一つは、このノンフィクションがまさに、母親の記憶を書き留めた書物だからだろう。
一〇〇年前のカミナリの日に生まれたテイは、のちに東京に出て、結婚し、二男三女をもうけた。東京の世田谷で後半生を生き、そして米寿を過ぎたころから、子どものころの思い出を語り始めたのだという。その中には、養女に出されて辛かったという悲しい心の叫びもあれば、季節ごとに楽しんだ幼いころの風習の鮮やかな描写もあった。
それを聞いたのは、テイの次女である著者だったが、著者の船曳由美さんは、テイの娘であるというだけではなくて、一人の編集者だった。しかも、ただの編集者ではない、かつて平凡社で谷川健一が創刊した『太陽』という日本初本格グラフィック専門誌で、各地の民俗、祭礼、伝統行事を取材した経験のある敏腕編集者なのである。ちなみに船曳さんはこの雑誌の名付け親でもある。
語り手はこれ以上ない聞き手に出会い、聞き手はこれ以上ない題材を見つけた。
『一〇〇年前の女の子』の独特の文体が、柔らかい語り口でテイの心に寄り添い、読者にもその温かさを伝えてくるのは、娘が老いた母から聞き取った物語であるからに違いない。しかし、高齢の女性がこれほど詳細に当時の風俗・情景を記憶しているものなのかと驚くようなきめ細かい描写は、むろんテイの尋常ではない記憶力によるところも大きいだろうけれど、経験を積んだ編集者の緻密な取材力の結果であるのもたしかだ。そして、口承と取材による裏付けが、まったく切れ目を見せず、一幅のなめらかな織物のように、少女の物語として織り上げられているところが、この作品の稀有な印象を形作っている。
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