──アプローチの仕方が違う?
松岡 たとえば、昨年は精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスをずっと追いかけていって、ノンフィクションの『パピヨン』(角川学芸出版)を書きました。でも、私はいわゆるノンフィクション作家ではないので、自分自身ではノンフィクションを書いているつもりなのに、どんどん自分の世界にズレていってしまうんです。最終的にアウトプットされたものはノンフィクションとフィクションの中間のような、マージナルなものが出来上がってしまうのですが、それが自分の持ち味だと思います。
そして、ノンフィクションを書いてしまうと、次にものすごく小説が書きたくなります。だから、今年は小説をたくさん書きたいと思っています。ノンフィクションのための取材で、見たり聞いたりしたことが溜まってくると、だんだん小説でアウトプットをしたくなる。その繰り返しですね。
──両方を書くというのは必要があってなのですね。
松岡 いきなり小説というのは、なかなか書けないですね。
これまで追っていたテーマが「死」であったり「宗教」であったりしたので、ノンフィクションを書くぞという気構えで向き合っていかないと、いいかげんなところで楽な答えを出してしまいそうで怖いんです。
──距離をおくためですか。
松岡 たとえば小説を書くために、いきなり水俣病の患者さんに会う、というのはできないですね。何を書くことになるかはわからないにしても、先ず地道にお話を聞いていき、取材したことはノンフィクション、エッセイとして書きながら時間をかけて考えていくという感じでしょうか。