絶望のなかにある希望
──新刊『蝿男』のテーマが最近刊行されたエッセイ、ノンフィクションとオーバーラップしているのは、今おっしゃった理由からですね。この『蝿男』は近年、田口さんが関心を持ち、取材されたことの集大成だと思います。それを小説化された。だから、『蝿男』を含めた近作三作は同じテーマでも少しずつ、出し方や書き方が異なっています。そこに着目すると、また別の面白さがあります。 田口さんは以前、『蝿男』のテーマはグロテスクとユーモアだとおっしゃっていましたが、この二つはどのように融合されているのでしょうか。
松岡 収録作「蛙たち」にも出てくる言葉ですが、ものすごく悲惨なものって、過剰すぎて滑稽なんです。悲惨を笑えるというのが人間の強さなのではないでしょうか。深刻になっても、しょせん絶望しかないのですから。
──『蝿男』のテーマ自体は悲惨なものが多いですね、普通であれば生真面目に取り組むような。田口さんのスタンスとして一貫しているのは、深刻ぶらない、いわば素人目線ですね。
松岡 人間は何があっても生き続けています。あるところで線を引いて、過度に深刻にならないおかげではないでしょうか。絶望しきったところにもユーモアが存在する。暗闇の果てにあるような笑いを、これまでも取材を通して教えられてきました。私自身、そういう境地に行きたいと思います。
──笑えるというのは、希望があるからですか。
松岡 「ディープ・エコロジー」を提唱したジョアンナ・メイシーが、〈絶望こそ希望である〉と言っています。若い頃はその言葉に反発をもっていました。絶望しきったところにしか希望がないなんて、まったく意味がわかりませんでした。でも最近は、なんだかその意味がわかるんですよね。
──小説に出てくるターミナル・ケアの問題もそういうところにつながるのでしょうか。
松岡 人は必ず死にますものね。人間は結局、どうしようもないことばかり抱えているんですよ。人生のどん底、絶望を生きている人たちを取材してきて思うのは、どうしようもないことは本当にどうしようもないということ。でも、絶望の渦中にいる人は生きますね。絶望の外で絶望を見て怖れている人たちのほうが弱いです。そういうことを、これから書きたいなあと、思っています。
──ユーモアはそこから出てくるのですか。
松岡 ユーモアは突き抜けたところ、突き放したところからしか生まれないと思います。
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