インタビューほか

十年の集大成、異色の短篇集

「本の話」編集部

『蝿男』 (田口ランディ 著)

──「くだらない」は最上級の褒(ほ)め言葉なんですね。作品のなかでも例えば「蛙たち」で、作家と編集者がポーランドのアウシュビッツを訪ねます。問題意識をもっている田口さんとは正反対で、その態度がまさに物見遊山的です。普通なら前もってもっている知識で深刻になると思います。実際に行かれた田口さんとはまったく違う態度ではないでしょうか。深く理解していない観光客が行ったらというシチュエーションで書かれています。

松岡  そうですね。主人公は映画で観た光景と同じだとがっかりする。頭は観光地を訪ねる感覚ですね。でも、身体はその場所に鋭く反応していて、頭と身体がだんだんアンバランスになっていく。アウシュビッツはいくら頭で考えたってわからない。でも身体は知っている。

──実際にアウシュビッツに行かれて、その悲惨さは頭で考えても理解不能だったのでしょうか。

松岡  やはり思考停止してしまいますよ。ただ、身体はかなりこたえます。それが何なのかはよくわからないんですよ。でも、小説ですから、そこに霊的なものを入れてみて、過剰に身体性を演出してみました。

携帯電話は人間の外部メモリー

 ──これまで田口さんがノンフィクションやエッセイで書かれたアウシュビッツと違いますね。それらと読み比べてみると田口さんの小説のスタンス、プロセスがわかって興味深いと思います。小説はノンフィクションとの間にワンクッション必要なのですね。「サイボーグ・ナナ」はまた違うテーマです。携帯電話という、コミュニケーションの現代的なあり方がグロテスクに書かれています。

松岡  携帯電話は人間の外部メモリーになりつつあると感じています。そこを書いています。ただ、現在のコミュニケーションのあり方はまだ序の口で、もっと先にいくだろう、人間の意志疎通のあり方はさらに変わっていくだろうと思います。もう後戻りはできないでしょう。

   私が子供の頃、家に電話がなかったんですよ。電話が入ったのは中学生になってからでした。だから、一番原始的なところからインターネットまですべて経験しているんです。生まれた時に携帯が既にあった今の子供たちには信じられないでしょうね。でも、道具が変わっても私の本質はあまり変わっていない。技術は行き着くところまでいくと頭打ちになって、今までないがしろにされていたものが見直される時期が来るものです。

蝿男
田口 ランディ・著

定価:1500円(税込)

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