本作は7本からなる著者久しぶりの短編集です。舞台となるのは東京。登場する人々は、定年を迎え、することが何一つ無いことに戸惑う男や、リストラされて路上生活者となった若者であったり、妻子を殺された孫の復讐を止めようとする老人と、概ね社会的弱者です。
ミステリーのテイストもあるのですが、著者の主眼は寧(むし)ろ都市生活者たちの孤独であり、その救済と再生に置かれています。
例えば、こんなセリフ。
「リタイアしても、人間をやめたわけではない。よせいは余る生ではない。誉ある生だ。余生にするか、誉生にするか、青春を乱費した者は余生を乱費しない。それが誉生だ」(「弔辞屋」より)
ここには中高年に対するエールが感じられます。そして、老人にも3段階あるとして、リタイア後の60代は年少組、70代は年中組、80代以上は年長組と区別して、高齢化社会に対しての心構えを我々に諭してくれているようでもあります。
人生を精一杯生きてきた人々に対する著者の温かな眼差しは一貫しており、揺るぎません。
本作では現代を生きる難しさを繰り返し描いていますが、そうした世の中を糾弾するのでなく、生きてさえいれば、一筋の光が必ず見えてくる、投げるな前へ! と。
「夜景は東京の汚いものをすべて隠してくれます。あの無数の光の粉のような灯の一つ一つの下に、それぞれの人生があるとおもうと、孤ひとり独の寂しさから救われるような気がします」(「夜景」より)というセリフを受けて、もう1人の登場人物にこう思わせます。
――路上生活者は隠される前に、人生の海を構成する夥(おびただ)しい光点の中に存在しない――
夜景のシーンが本作には何度か出てきます。東京の夜景の素晴らしさは言うまでもありませんが、著者はその光が輝いて見えるのは漆黒の闇があればこそであり、その闇の中にまた人々が生きていることを忘れてはならないと読者に訴えかけていると思われます。