2人が想起する別々のはずの過去は、章を追って、時系列を遡るように深く潜行するうちに、エピソード同士が連関し、加速し、渦を描いて混然一体となるがごとき錯覚を読者に覚えさせる。個々の孤独の感触は完全に解消されぬままに、それでも夫婦がその先へと歩みを進める結末は、読者に大きなカタルシスをもたらすにちがいない。
〈妻は、どの女にも見えた。それぞれの女の寄せ集めのようだった〉
美しくも硬質な文体で描かれた、ごく私的ないち主婦の憂鬱が、人間存在のひとつの本質である疎外感というテーマを包摂すること。女性が内包する少女性と成熟への葛藤にまで到達すること。鹿島田はこれまで「公的な不幸と私的な不幸」の等価性について(例えば芥川賞受賞エッセイなどで)しばしば言及してきたが、本作でもまたその達成をみることができるのだ。
併録“フラッパー小説”
ところで本書にはもう1作、「パーティーでシシカバブ」という短篇が所収されている。表題作の硬いダイヤモンドのように研がれた筆致とは打って変わった、いかにも「軽佻浮薄」でより口語的な文体で描かれるのは、ミカという女子大生が誘われもしない渋谷でのパーティーに出かけていった、その事の顛末である。
たんに口から出た比喩表現だったものや、目の前のひとが口にした単語に、次の瞬間には現実と意識が浸食されるという、言葉によるある種の実験的な試みが、作品全体のフラッパー性に拍車をかけていく。物事の表層だけを捉え、弛緩的な反応を繰り返すミカには「内面」などないように見える。
ではミカに対して、「暮れていく愛」の「私」にはそれがあったのだろうか? それはわからない。自我という牢獄のありようを、まったく異なったタイプの小説で描き出したとも言えるこの2作。読み比べれば、鹿島田真希という作家のポテンシャルを存分に味わうことができるだろう。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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