書評

『異邦人』解説

文: 麻木 久仁子 (タレント)

『異邦人』 (上原善広 著)

  私は東京の郊外にあるニュータウンで育った。若い夫婦に子供が二、三人、同じような一戸建てに一斉に越してきて、町が出来た。同じくらいの大きさの家に住んでいる一家の収入は、きっと同じくらいなのだろう。子供たちは一斉に似たような習い事を始め、母親たちは似たような趣味を持ち、父親たちは忙しくて、せっかく手に入れた家なのにのんびりも出来ず、留守ばかり。一見とても同質性が高い。けれどよく考えると、それぞれのルーツはほとんど知らない。本当に「同じ」なのかどうかなんて知らない。そんな町の子供だ。

 私の父は長崎のひとだったらしい。らしい、というのも、父のふるさとに一度も連れて行ってもらったことがなかったからである。「長崎県佐世保市」とは、戸籍謄本に書いてあるだけのバーチャルな都市だ。そのころすでに父のふるさとには両親つまり私の祖父母はおらず、遠い親戚くらいしかいなかったこともあるだろうが、それにしても父は語らなかった。ふるさとの風景、ともに過ごしたひとびとのこと、何ひとつ、である。だから私は、ひとのことも知らないが、自分のことも知らないのだ。

 父と離婚した母は、離婚の時のごたごたで実家とも疎遠になり、たった一人で子供三人を育てた。遠くの親戚より近くの他人、などと言って、ほとんど親戚付き合いをしなくなった。まだ幼い頃には、母方の親戚たちともその後、誰がいつ結婚したとか子供が生まれたとか、法事とか、ほとんど知らせず知らされず、呼ばず呼ばれずとなった。どこまで覚悟して母がそうしたのかは知らないが、絆という名の「しがらみ」をとことん拒否したのであった。

 そんな母があるとき、「お墓がほしい。このままだと入るお墓がない」と言い出した。墓もある意味「しがらみ」であり、地縁血縁のシンボルだろうが、やはりこればかりは欲しいのかと密かに母の弱気に微笑みつつ、子供たちでお金を出し合い、これまた郊外の新しい霊園にひと区画買った。みなが一斉に買って、一斉に同じ形の墓石を建てる霊園だ。すると母は、墓石に「○○家の墓」とは彫らないで、ただひとこと「絆」と彫った。母曰く、「名字が同じでなくてもいい。血がつながっていなくてもいい。縁あって関わりが出来、人生を共有したと感じるひとなら、そして同じ墓に入りたいと思うひとなら、みんなここに入ればいい。友達でも誰でもいい。あなたにまた彼氏でも出来たら、そのひとも入ればいいよ」ということである。入りたいひとがいなくなれば、お墓の役目はそこでおしまい、である。なかなかすごいことである。土俗的なものや地縁血縁の維持継続ということに自分は力を注がない。ひとがどこから来てどこへ行こうと、こだわらなくてもいいじゃないの。

 そんな母にいつのまにか倣って、私も根を下ろさないように下ろさないように、しがらみを避けて避けて、生きている。いまさら「私」という人間がどこから来てどこへ行くのか、こだわろうとは思わない。そう決めている。

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異邦人
上原善広・著

定価:640円+税 発売日:2014年07月10日

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