- 2013.11.27
- 書評
『イン・ザ・ブラッド』解説
文:酒井 貞道 (ミステリ評論家)
『イン・ザ・ブラッド』 (ジャック・カーリイ 著 三角和代 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
出版不況が叫ばれるようになって久しいが、もちろん翻訳ミステリも例外ではない。ドラマ化も映画化もされていないシリーズ作品は(それどころか、映像化されていて、それが十分ヒットしてすら)、読者からよほど強固な支持を得られない限り、早晩翻訳は打ち切られる。また、たとえ新作の訳出が許されるとしても、シリーズ既訳作品が品切れにも絶版にもならず、書店でいつでも買える状態にあり続けることは、さらに難しいのである。
そんな中、ジャック・カーリイの精神病理・社会病理捜査班(PSIT)シリーズは、既存四長篇全てが入手容易、そして今また、第五長篇『イン・ザ・ブラッド』が翻訳刊行される。このことは、読者に熱く支持されていることを物語っていると考えてよいだろう。実際、この解説を書いている時点(二〇一三年八月後半)でも、本書の刊行を知ったファンと思(おぼ)しい人々が、twitterやブログ等で喜びを爆発させ、大きな期待をもって出版を待ち受けている。刊行情報が出た時点でこういう反応が出る海外ミステリ作家は、意外と少ない。ではこのシリーズのどこに、日本の読者は魅力を見出したのだろうか?
カーリイの諸作品は、最近の海外ミステリとしては珍しく、最初に真相を設定し、そこから逆算してストーリーやプロットをかっちり堅牢に組み上げ、伏線あるいはヒントを丹念にちりばめた上で、それらを「読者が真相に感付かないように」配置する、極めて緻密な構成を採用している。このことがより一層はっきりわかるのは再読時で、その考え抜かれた書き方にはすっかり感心させられてしまう。
といっても私はここで、カーリイが窮屈な小説を書いていると言いたいのではない。むしろ逆で、サスペンスの盛り上げは見事だし、主要登場人物のウィットに溢れたセリフにも惹かれる。ただしどのような場面であっても、筆が赴くままに(あるいは、作家がよく言う、登場人物が「勝手に動く」事態に乗っかって)書いた、といった、ある種の自由度が低いのは確かだ。全てが作者の厳格な統制下・制御下に置かれているわけで、翻訳ミステリにおける類例は、現役作家ではジェフリー・ディーヴァーぐらいしか思い浮かばない。
このような彼の作品に対して、日本のコアなミステリ読者が、「本格ミステリ」としての評価を与えているのは、深く納得できる。もちろん本格ミステリとしての評価基軸に何を置くかは、人それぞれ、まさしく十人十色である。しかし思うに、密室殺人やアリバイものなどの《犯行実行の不可能性》にかかわる異様な謎、または館や呪いや一族といった《舞台装置》にこだわらず、探偵役の推理の論理性すらも突き抜けて、物語構造全体の論理的構築性にも求める人は、本格ミステリ・ファンの間では一定数を占める。そして、そのようなファンにとっては、ジャック・カーリイは、ディーヴァーをも凌駕する、物語の論理的構築能力に秀でた現役海外ミステリ作家に映るはずだ。PSITシリーズ第二作『デス・コレクターズ』が、二〇一〇年に、本格ミステリ作家クラブによって、ゼロ年代海外本格ミステリのナンバー1に選出されたのは、その象徴とも言える出来事だった。そして、このイベントで最も重要であったことは、選出されたのが第一作『百番目の男』ではなかったことである。
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