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青山文平という可能性………<br />『白樫の樹の下で』から『かけおちる』へ

青山文平という可能性………
『白樫の樹の下で』から『かけおちる』へ

文:島内 景二

『かけおちる』 (青山文平 著)


ジャンル : #小説

詩的文体で紡ぐ時代小説

 青山は、時代小説と聞いて読者がイメージする、何人もの大家たちが編み出した「文体」や「思想」を、粉砕しようとする。そして、時代小説という箱(ハードウエア)の中に、隠喩や直喩という詩歌の技法を注入する。すると、凝縮力に満ちた新しい文体が生まれ落ちた。例えば、『白樫の樹の下で』に登場する佳絵(かえ)という少女の人間性は、彼女の容貌を具体的に描写しなくとも、短い比喩の力で的確に写し取られる。「佳絵の笑みはいつも浜風のように、快くはあるが水粒(みずつぶ)を含んでいる」、「けれど、横たわる佳絵からは、登が最も親しんだものが消えていた。(中略)気を集めても、陽溜まりの、麦藁のような温かな匂いが届かない」。

 凝縮された文体は、俳句の歳時記に代表される季節感や情緒に頼ってきた従来の時代小説の「章タイトル」を不要にした。だから、『白樫の樹の下で』には、章も節も存在しない。一気呵成に時間が奔騰する構造となっている。青山文平の文体は、作品の構造を決定し、時代小説のハードとソフトを2つながら変革していった。新たに出現したのは、短編でも長編でもない。そして、散文でも詩歌でもない。何でもないことによって、何でもありうる時代小説だった。

『白樫の樹の下で』において青山が発明した秘太刀の1つに、2人の人物の会話が進行する合間合間に、片一方の視点人物の心中思惟を挿入するという技法がある。会話は、それがなされている「今、ここ」を逃れられない。だが、人間の思いは、過去へも未来へも、そこへもあそこへも自在に飛翔できる。現実世界の裏側には、もう一つの世界が張り付いている。絞りに絞られた青山の文体は、その峻厳で苛烈な文体の中へ投げ込まれた人間のエネルギーを極大値へと持ってゆく。だから、驚くべきストーリーと結末がもたらされる。読者は、そのカタストロフィーに納得し、共感するのだ。

 こんなにも画期的だった第1作『白樫の樹の下で』の次に、どのような青山文平ワールドの展開がありうるのだろうか。読者の期待と不安を高めるだけ高めて、第2作『かけおちる』が書き下ろされた。私は、時代小説を読んでいて、久しぶりに「打ちのめされる」という感覚を味わった。 『かけおちる』では、「血の音」というキーワードが何度も用いられており、印象的である。一昨年に世を去った天才的な女性歌人・河野裕子の短歌から発見されたらしい。

  夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴(き)きし日の君が血のおと
  吾子(あこ)の肩いまだ柔きにあご埋めはろばろと海の血の音を聴く

 登場人物の1人である阿部長英が、「さながら山桜の白い花弁のように清らかな」理津(りつ)を見そめる場面などに、河野裕子の詩語が埋め込まれている。青山の詩的な文体は『かけおちる』でも健在であり、いよいよ冴え渡る。「ざうざう」などという、風の音のオノマトペは、青山ならではである。

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かけおちる
青山文平・著

定価:1470円(税込) 発売日:2012年06月20日

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