書評

居合い抜きの達人がごとき切れ味

文: 東 えりか (書評家)

『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』 (篠田節子 著)

 東大を中心にした日本の海洋生物学者たちが、ウナギの産卵場所を特定したのはつい最近のことだし、地上最強の生物といわれる「クマムシ」は乾燥すると冬眠ならぬ乾眠をし、水を加えるまでそのままで生き続ける。ボノボのカンジの飼育記録は有名だし、将棋で人間を負かすほどコンピュータを駆使したロボットたちは、自動的に必要な能力を獲得できるようになった。アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリア教会は、ガウディ没後100周年の2026年に完成の予定だと聞く。着工時にいた職人で完成を目に出来るものは誰もいない。

 金の匂いに群がる人の欲望はいつの世の中でも変わることがない。何かが発見されるごとに金儲けが考え出され、どこかで犠牲者が出る。人が群がるその後ろで、そっとほくそ笑む知恵者が勝ち、黙々と働いてきた人たちが幸せになるとは限らない。どんなに新しい時代になろうと、所詮、人間の本質に変わりはないのだ。星新一もブラッドベリも人の営みの上で小説を書いていた。だからほろ苦いのは当たり前。それに気づかず、ただ明るい未来に魅せられていたころが懐かしい。

  篠田節子の小説の特徴は、短編長編とも先を読むことが出来ないということだ。本が出るたびに高い評価を得、たくさんのファンを持ちながらこの作家は手を抜くということがない。短編小説は抜き身の刃のようで、その作家自身の切れ味を見せてくれる。未熟な作家の作品は、鍛え切れていないから途中で刃こぼれを起こしてしまう。時代を終えた小説家の作品は、やきもち切りをした沢庵のごとく、ずらずらと繋がりメリハリがない。長編の名手が短編でも上手いというわけではなく、反対もまた真なり。もちろんすべてが傑作の作家など存在しないが、篠田節子の作品でがっかりしたことは一度もない。

 本書に収められた4作品も、読み始めて結末が見えてしまうものは1本もない。ウナギも未知の寄生虫も猿型ロボットもトンネルの出口も、読み終わると「やられた」とため息が出てしまう。知恵比べをしているわけではないのだが「完敗」である。居合い抜きの達人がごとき切れ味、それが篠田節子の小説である。

 今、熟年の女性作家の勢いが凄い。篠田節子をはじめとして、小池真理子、桐野夏生、林真理子、宮部みゆき、乃南アサ、柴田よしき、諸田玲子、宇江佐真理などなど、実力派作家が鎬を削る。彼女たちは、東京オリンピックの華やかさを体験し、高度成長期を目の当たりにした人たちだ。人間の強さと想像力を信じる事ができ、物語を作っていく、そういう作家たちだ。みんな子供の頃、21世紀の日本はすばらしい国になっているはずだと信じていたと思う。

 あれからわずか40年ほど。スーパージェッターや科学特捜隊の装備は、いまや日常に欠かせないケータイという軽い名前で呼ばれている。あのころの未来が今だ、という実感がわかない。人間が自然を制御できる、なんて思いは2011・3・11に木っ端微塵に吹っ飛んだのだ。それでも小説には希望を求める。技術の力が困難を乗り越えられると信じている。はぐれ猿が見る夢も、明るい未来に違いない。

はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか
篠田 節子・著

定価:1550円(税込) 発売日:2011年07月07日

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