書評

心を慰撫するノスタルジー

文: 池上 冬樹 (文芸評論家)

『都市伝説セピア』 (朱川湊人 著)

 たとえば、デビュー作の「フクロウ男」。これは主人公の“フクロウ男”がインターネットに流した偽情報がひとり歩きをし、バリエーションが生まれ、いつしか“フクロウ男”自身が、“都市伝説の怪人”となり、実際に人を殺しはじめる物語。

 または「アイスマン」。少年が神社の夏祭で目にした「河童の氷漬け」。人形を氷漬けにしたものにすぎないと思うのだが、ひょんなことからその正体をまのあたりにして、少年の人生は変転していく。

 さらには「月の石」。マンションの部屋にたてかけられたマネキンは、さまざまな“人間”に変貌するという。見る者の後ろめたさが投影された顔になるのだ。

 そのほかにも、神秘のベールに包まれた女流画家が一面識もない自殺した画学生との恋を語る「死者恋」、幽霊が出ると噂される公園で少年時代の特異な体験に思いをはせる「昨日公園」が収録されている。

 このような都市伝説も面白いが、驚くのは、先にもふれたように作品のレベルの高さである。「フクロウ男」の巧みな伏線とツイスト、「アイスマン」の落ちの切れ味、「昨日公園」の哀切などんでん返し、「死者恋」の不気味で残酷な結末と、実に鮮やかな仕上がりなのである。

 しかし本書の最大の魅力は、都市伝説の面白さでも、巧みな小説作りでもない。

「月の石」に顕著だが、全篇にただようノスタルジーである。通勤電車から見えるマンションの一室にいる“人間”。それはマネキンで、ときに会社をやめさせた男に見え、ときに孤独死を迎えさせてしまった母親にも見え、男の不安と恐怖を増幅するのだが、物語の焦点はそこにはない。心の奥底に眠る後ろめたさとやましさにある。死期を迎えた妻をいたずらに延命させるのか、それとも治療をやめさせて死期を早めるのか。どちらを選択しても悔いが残る。この世には選べないこと、つまり正しいことがいくつもある。人は正しいことを同時にいくつも選べない苦しみを抱えながら生きていく。そのことを、亡き母がいちばん輝いた時期と妻との楽しい日々を回想しながら噛みしめるのである。この母や妻との関係を語る挿話がたまらなくいい。

 いや、これは何も「月の石」だけではなく、「昨日公園」では父子の愛と友情が切々と、「アイスマン」では少年と少女との交流が淡いながらも優しく語られている。

 このノスタルジックな心象風景が、読む者の心を慰撫する。懐かしさを感じさせるような寂しさと哀しみにみちている。このそこはかとない哀しみこそ、朱川湊人の小説の通奏低音だろう。二度と体験できない懐かしい過去の記憶。過去に戻れない寂しさと事実を変えられない哀しみ。ここには人がもつプリミティヴな感情と普遍的な生の情景の数々がある。

都市伝説セピア
朱川湊人・著

定価:本体1,571円+税 発売日:2003年09月

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