しかし、三山喬はホームレス歌人という設定がたとえ虚構のものだったにせよ、公田耕一という投稿歌人が存在し、空前の反響を巻き起こしたことは、記憶され、語り継がれる価値があると考えたのである。
単行本版の『ホームレス歌人のいた冬』の「あとがき」の日付は「二〇一一年三月五日」となっている。原稿を書き上げた六日後の三月十一日、日本をあの大震災が襲った。
ホームレスという設定が虚構であるか否かを識別することに意味があると思われないのは、福島第一原発事故以降、私たちは程度の差こそあれ、みな「ホームレス」だからである。
「ホームレス歌人」が詐称であろうとなかろうと、公田耕一は避難所の生活と同じ「鍵を持たない暮らし」についていち早く謳った人である。
「鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか」
二〇〇八年の暮れ、公田は寿町のドヤで生活をしていた。そういう生活を詠むということは、それらが公田にとってまだ「当たり前の生活」になっていなかったからだと三山は考える。公田は何らかの経緯で寿町には来たものの、往来で酒を酌(く)み交わす住民にはなじめなかった。
三山にとって利用できる資料は公田の投稿した歌だけなのだが、そこから三山は公田の行動半径を特定していく。
三山は「寿日雇労働者組合」の職員・近藤昇氏に話を聞いている。かつて朝日新聞が公田に「連絡求ム」と紙面で呼びかけた時、近藤氏は組合の掲示板に、「ご連絡したいことがあります」というビラを貼りだした人である。投稿謝礼の受け取り窓口になってやろうという、組合職員としては普通の思いからである。
そこで、三山は公田に関する重要な事実を聞かされる。
得難い事実をまるで取るに足らない出来事のように語る近藤氏に三山が驚くこの箇所が、私は本書の中で一番好きである。「表現する人」と「人をサポートする人」の違いに「表現する人」の側が驚いている。
人が生きる上で表現すること、他者をサポートすることのどちらが重要であるかを比較することはできない。公田耕一はホームレスになる前から「表現する人」であり、そのことは、彼が「親にもなれずただ立ち尽くす」ことの原因と言えないことはない。
それでも著者は、何人もの地元関係者から同じ言葉を聞く。
「表現できる人は幸せだ」
表現することの両義性に、公田耕一も三山喬もあがいている。そのことが心を揺さぶるのである。
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