本書を私もまた、公田耕一の謎を解いてくれるものだと思い込んで、読み進めていたのは事実である。しかし、本書の読みどころはそこではなかった。著者は読者の期待を裏切ったのだろうか。
一面で「内閣支持急落22%」と麻生内閣の不人気を伝えた二〇〇八年十二月八日、「朝日歌壇」欄に公田耕一は彗星のように現れた。複数の選者に重複して評価された☆マークを三首で六つ獲得したのである。
公田耕一の登場に鮮烈な印象を受けた人々は、その日から公田の作品に深い共感と応援を送ってきた。
しかし、翌年九月七日の入選作を最後に公田耕一は突然姿を消す。九か月間に二十八首の入選作を残して公田耕一の歌人としての活動はなぜか終わりを告げる。
それから半年、フリーの雑誌記者を十年続けて五十歳近くなった三山喬は、絶望的な出版不況に「異業種への転職もやむなし」と、電話で知り合いの雑誌編集者と最後の挨拶のつもりで話をした。その際、なぜか「もしやるなら」と「ホームレス歌人をめぐるドヤ街のルポ」のプランを話した。本人は短歌に関しては「ド素人」であると言う。公田の活躍を同時進行で見つめていたわけではない。しかし、その企画が即決で通ったことから、ライター人生を続けることになった。彼は横浜寿町のドヤ街で地を這うようにして公田耕一の探索を始める。
三山喬はフリーになる前、朝日新聞の記者だった。東大経済学部を卒業後、朝日新聞東京本社学芸部・社会部などに十三年間籍を置いていたのだ。三十代後半で朝日新聞社を退社してペルーに移住。南米でフリージャーナリストをしていたが、九年後の二〇〇七年に帰国している。
「中高年独身者で仕事にも行き詰まった私は、介護つき老人施設に移った父親の留守宅を預かる、と言えば聞こえがいいが、現実にはもはや、そこしか居場所がない状態にあった。住民税や国民健康保険料の支払いすらままならない日々が続いていた。五十歳を前に、いよいよペンを折り、第二の人生を考えるか。この歳ではもう、ろくな選択肢はないことは、何回かのハローワーク通いでわかっていた」(本書50ページより)
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