神田神保町にある某喫茶店。窓際にある席に、少々顔に疲労の色をにじませた中年の男Aが、煙草の煙をくゆらせながら、人待ち顔で座っている。と、店の扉を勢いよくあけて、Aと同年輩の男Bが登場。片手にひもで縛った古本を下げて、こちらは喜色満面。Aのところにやってくる。
A「やあ、どうだい。そんなに本をぶら下げているところを見ると、今日の古本市、だいぶ、収穫があったようだね?」
B「何の、雑本ばかりさ。ところで君は、この頃、まるきり重役出勤じゃないか」
A「昔のように古書展がはじまって、さぁ、とばかりに突入して良書をあさる――つまりは、その覇気をなくしてしまったんだな。昨夜も徹夜で原稿を書いていたし」
B、Aがページをめくっていた新刊書に目をとめて、「何だい、それ?」。
A「ああ、祐光正(すけみつただし)の『みみらく遊撃隊』という海洋伝奇小説で、これがなかなかどころか、大した代物でね」
B「祐光正?」
A「ほら、確か平成十七年に“オール讀物推理小説新人賞”を受賞して、三年前に受賞作を含む、『浅草色つき不良少年団』という、戦前の浅草が舞台の連作を出した作家がいただろう」
B「ああ、思い出した。風俗考証もきちんとしていた、かなり読ませる本だったねえ」
A「うむ。その祐光正が書いた時代小説第一弾なんだ」
B「おいおい、この頃は猫も杓子も時代小説を書いているけど、大丈夫なのかい?」
A「その点は一二〇パーセント保証する。大したものだよ。冒頭に登場するのは、あのジョン万次郎だ。彼が嵐の中、“あることば”を発するところから物語がはじまるんだけどね――」
B「何だか、やけに気を持たせるじゃないか」