戦国の乱世を生き抜いてきた武士なら、その鑑(かがみ)のような福島丹波の意地に感動しない者はいない。幕府の上使もそうであった。願いは聞き届けられ、婦女子は船で去った。丹波の本領発揮はここから始まる。侍帳をつくって、役職や石高を書き出しただけでなかった。そこには、武功はもとより、籠城中の立居振舞い、籠城せずとも良き士道を貫いた者の考課を詳しく書いた。城集合の刻限に遅れた意地から立腹(たちばら)を切った者の顛末も詳しく記すという気の配り方なのである。丹波の非凡なのは、この侍帳を紙に清書させ大広間の壁に張り出したことだった。この時には、家老の真意を知る者は少なかった。
他方、武具や馬具などをきちんと整頓させ、目録を作って上使たちが数を確認しやすいようにしたのは、赤穂の開城模様を知る現代人でもさもありなんと感心させられる点なのだ。水桶にたっぷり水を満たしたのも、炎天下に受け取りを果たす者たちの渇きを懇切に考慮したためであった。
中村氏が描く開城の光景は、一幅の絵になっている。太鼓の合図で二つに割れた城門の右側から、福島家の一統が鎧と鎖付きのいくさわらじに身を固めた旗奉行を先頭に、鉄砲足軽たちを従えて近づくと、収城の一行はそれを左に見ながらじわじわと右周りに門をくぐり、ほぼ三十分後には完全に城内外の部隊が入れ替ったのである。何という見事な作法であろうか。中村氏はこの光景を書きたかったに違いなく、そのために福島丹波を主人公とする佳品をまとめたと感じさせるほど、鮮やかな叙述になっている。
福島丹波が大広間に貼り出しておいた侍帳を見た者たちは、こぞって人名を写しとった。いまも昔も得難いのは人材である。大きく名前や事績を書き出したのは、沢山の関係者が同時に混乱なく書き取りやすくした丹波の配慮なのであった。明日から浪人となる福島家中の歴戦の強者や算勘に明るい役方の人間など、求める人材を他家は必ず見つけたことだろう。今風に言えば、福島の浪人たちは買い手市場でなく完全に売り手市場で他藩他家に再就職できたのである。これは、丹波の才覚と気配りの賜物であった。
当人についても、紀州藩から二万石、加賀藩から三万石の高禄で是非もらいがかかった。しかし、丹波は恬淡として仕官話をすべて断り、京の東山につましい庵をむすんだ。川中島四万五千石に転封された主人正則の暗澹たる心中を思いやってのことでもあろう。
暗い余生を送った主人福島正則と異なり、丹波が見事な出処進退で歴史に記憶されるのは、ヘーゲルのいう歴史の狡知というべきなのかもしれない。丹波の見せた鮮やかな家老のリーダーシップは、大石内蔵助にも受け継がれた‘もののふ’の道として、現代の日本人をも感動させてやまない。
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