昭和35年、静岡に生まれた私にとって、プラモデルはとても身近なものでした。特に兄がプラモデルにのめり込んでいて、その後をくっついてよく模型屋に通ったものです。当時、小学校の近くには必ず模型店があり、ショーウインドーに立派な完成品が飾ってありました。子供たちは時には自分で作ったプラモデルを持ち寄って店先で見せて自慢しあったり、模型店は社交場のようなところでした。そんな当たり前の風景が、今回この本を読んで、特殊静岡的なものだったんだと知り、ちょっと驚きました。
この『静岡模型全史』は50人の証言で構成されています。タミヤ、ハセガワといったメーカーの社長、技術者にはじまり、金型屋さん、メーカーに融資した信用金庫の人、接着剤メーカー、パッケージの画家、そしてファンまで、全体として木製模型に始まりプラモデルに至る、静岡の50年余にわたる模型の歴史を知ることができます。
そしてそれは同時にひとつの日本のものづくりの歴史でもあります。
男同士の共通言語
昭和40年前後に小学生だった男の子でゼロ戦のプラモデルを作ったことのない子供などいなかったのではないでしょうか。特にプラモデルというのは子供文化というより、女の子を排除した男の子の文化といった雰囲気でした。一時期、スロットレーシングというのが流行った時期があり、兄と相談して「お父さんにレーシングカーを買ってもらう作戦」なんていうものを企て、3人で模型屋に行ったのですが、父の方が嵌って、結局かなり高価なキットを買ってもらったことがありました。そういう意味で父親と男の子の絆を深めるホビーだったのでしょう。
考えてみると不思議なのですが、私も含めて子供たちはゼロ戦や戦艦大和などを好んで作ったわけですが、だからといって好戦的だったりしたわけではありません。「戦争は絶対悪だ」と認識しながら、ゼロ戦や戦車を作っていました。戦争はいけないと思う気持ちと、兵器がカッコ良くて、プラモデルで作りたいという気持ちが矛盾しないで共存しているというのはちょっと奇妙です。多分、子供の頭の中には動物フィギュアを集めて、動物王国を作るのと同じような感覚で兵器のプラモデルを作り、集めていたんじゃないでしょうか。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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