リアルな模型が生み出す職人気分
この本の中で、タミヤ模型の社長さんが、スケールのプラモデルこそ正統派のオタク文化だと言っています。今は女の子のフィギュアを集める方がオタクの主流になっているような感じがありますが、実物があって、それを縮尺したプラモデルの中にこそ、日本のものづくりのDNAがあるんじゃないかと私は思います。
フィギュアというのは、真似る対象も想像の産物、フィクションでしかないですが、それに対してスケールのプラモデルは実物の模倣なわけですね。実物をなぞって組み立てていくことで、実際の仕組みや構造を学ぶこともできる。そしてそれは「この車に乗ってみたいな」とか、「いつかはこの客船に乗ってやるぞ」といった現実世界への憧れとも結びついているわけです。
現実世界との繋がりは職人気質とは言えないまでも、職人気分というようなものも醸成します。この1/800の戦艦大和は相似形で800倍されれば実物になる、というような現実世界との繋がりは、プラモデルを作る人に職人気分というものを味わわせてくれるのだと思います。
私の父は静岡の地元で家具の製造卸をしていましたが、引退してからもよく一人で酒を飲みながら五重塔とか帆船の模型を作っていました。手作業をするというのは神経を落ち着かせる効果があるといいます。大人が模型を作ってもほっとするところがあったんだと思います。適度に手を動かしながら、ひとつの世界に入っていく。特にスケールものは本物に触れているという感じがあるのでしょう。
プラモデルの衰退は日本の危機!?
ただ最近、子供たちはプラモデルをあまり作らなくなったようですね。ミニ四駆が子供が熱くなった最後だったんでしょうか。今の子はプラモデルの組み立て説明図を読むのを面倒くさがるといいます。ましてやセメダインで部品をひとつひとつ順番に付けていくなんて望むべくもない。TVゲームみたいにどんどん向こうからやってくるものは好きだけれど、丁寧に説明書を読んで、設計図を見て、段取りを組んで作っていくという、現実のプロセスに近いものを面倒がるというのは、プラモデルの衰退というよりも日本教育界の危機ではないでしょうか。
かつて日本には遊び心を持った大人が真剣にものづくりする、とことん工夫するといった文化があったと思います。この本を読んでいて田宮俊作さんが、パンサーのプラモデルを作ってようやく5年後にアメリカの博物館で実物と見(まみ)えるくだりがあります。その時の田宮さんの感激、喜びといったものは並大抵ではない。その憧れ、熱意が子供たちに伝染していった、そんな時代の熱気がこの本からは感じられます。子供のような遊び心に執念を燃やす、そういった活気が薄れつつある今、心に残る1冊ではないでしょうか
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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