この一九七〇年代半ばに鉄鋼業界に就職した卒業生の中に、二十年後、製鉄所で働いている者はほとんどいなかった。早めに見切りをつけて異業種に転職した者もいれば、リストラの憂き目にあった者もいた。本社の関連会社である運送屋でトラックの手配を担当しているという者もいた。そのとき彼らは四十歳代後半に達していた。本来なら、技術者としてもっとも脂の乗っている時期である。
また、一九八〇年代後半のバブル華やかなりし頃、多くの学生が給料の高さに釣られて、金融機関へ就職する傾向が急激に強まった時期があった。
金融機関は「理系の学生は頭がいい」といって、工学部の学生を好待遇で大量に採用したのである。それまで、工学部の学生は重機械や自動車、電機、コンピュータなどの製造業へ技術者として就職するケースが多かったが、好待遇に魅せられた学生たちは、「安月給のメーカーなんぞへ行くか」と金融機関へ殺到したわけだ。
東大工学部機械系三学科の卒業生の就職先を調べてみると一九八三年から一九九〇年まで、製造業就職者数は減少の一途を辿っている。このまま右肩下がりで推移すれば、一九九六年ごろには東大の機械系学科からメーカー就職者数がゼロになる、というほどだった。
しかし、製造業就職者数の減少も一九九〇年に底を打った。バブル崩壊の前年である。とつぜん風はアゲンストに吹き出して、金融機関もぱったり理系採用を止めてしまったのだ。しかし、金融機関が破綻するような時代が来るということを、順風満帆のバブル景気の真っ只中では、学生も、私も予想できなかった。
その結果、「東大工学部の学生がたくさん就職した会社は、そのときがピークで、あとはダメになる」などと揶揄(やゆ)されることになったのである。
就職は難しい決定である。東大工学部のようにある程度、「ツブシのきく」学歴を持っていても、「最善の解」を見つけることはほとんどできないといえる。
ましてや、これからどの産業が伸びていくか、どの企業に就職すれば安泰か、など誰にもわからない。
就職に「王道」はないのである。けれども自分なりに努力し、判断を下して、賭けをしなければならない。
企業や社会がどのように動いているか、その根本原理さえわかっていない学生が就職を決めなければならないというのは本来、酷な話ではある。しかも、それは普段の勉強では身に付けることのできない知識や知恵であり、多くの人が働きながら何年もかけて理解する「暗黙知」である。
本書は、その「暗黙知」を先取りするためのいわば“予習の書”である。社会のとば口に立つ就職学生には大きなアドバンテージとなり、また、若いビジネスマンには“復習の書”として、数多くの重要なヒントを与えてくれるだろう。
二〇一〇年から再び始まるという就職氷河期を前に、本書に巡り会った若者は幸運だといえる。初めての仕事、初めての職場というのは、一生の仕事観を左右する、非常に重要な選択である。
本書が多くの若者に読まれることを祈る。
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