二〇〇九―二〇一〇シーズン、浅田は重たいものを抱えていた。ジャンプの精度が落ちていたし、コーチとの関係も盤石ではなかった。
その上、彼女のプログラムは壮大で、踊るのがかなり難しかった。ショートとフリーに、合わせて三本のトリプルアクセルが入っていた。傑出した才能をもってしても、難しいものは難しい。当然、彼女は苦しんだ。
それでも、浅田は「できる」と言い続けた。オリンピックは、彼女の幼いころからの夢だった。十五歳からの日々のすべては、オリンピックのためにあった。そう言いきっても、おそらく間違いにはならない。
だから、彼女は諦めなかった。自身との闘いは、ライバルたちとの闘いより熾烈だった。心が折れそうになった。実際、心の持ちようが難しかった時期もある。だけど、諦めなかった。
バンクーバーで、彼女が手にしたメダルは銀だった。
浅田は泣いていた。試合後の記者会見では、目をずいぶんはらしていた。ただ、彼女は負けてはいなかった。トリプルアクセルを三本、成功させた。女子では、世界初となる快挙だった。難解なプログラムを踊りきった。立派だったと思う。
ジャンプのミスが「悔しくてたまらない」。「できることなら、もう一度オリンピックをやりなおしたい」と、彼女は言う。納得のいく演技を、あのリンクで披露したいと話す。
その願いは叶わないけれど、オリンピックは四年ごとに開催される。冬季であれば、次は二〇一四年、ロシアのソチで、だ。
浅田はバンクーバーのあと、いったん「燃え尽き症候群みたいなのになりかけた」が、同シーズン、イタリア・トリノで行われた世界選手権で優勝を果たした。そして、今シーズンは新たな目標を掲げ、一歩ずつ歩を進めている。
浅田は、「オリンピックの悔しさは、オリンピックでないと晴らせない」と言う。彼女のこれからは、これまでに似て、決して平坦ではないだろう。しかし、道は続いている。彼女が「できる」と思い続ける限り、まだ遠いソチへ向け、長く。
そんな浅田真央の十九歳から二十歳までの日々を、私は本に書いた。明日からの彼女へのエールを込めて、一生懸命書いた。
真央、頑張れ。
いつも、そう思っている。
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