歴史には、威風堂々の「残されるべき歴史」「残されねばならぬ歴史」のほかに、「残してくれると嬉(うれ)しい歴史」が存在する。オタク的な品物、文化の流れは、大抵この中に含まれるのではないか。
わがオタク対象は、九歳の一九五九年に初めて作ったプラモデル。模型といえば、竹ヒゴと薄紙で作るライトプレーンか、木製の軍艦(小学生には歯が立たず)が通り相場のその当時、プラモとの邂逅(かいこう)はほんとに衝撃的だった。美しく細かに成形された部品を接着剤でくっつけるだけで、本物みたい(当時の感覚です)にでき上がる。
それから十年間、プラモを作りに作った。飛行機、軍艦、戦車、自動車、それこそきりがないほどに。メーカーも新手が出て、古参が消え去るなど、まさしく群雄割拠。品質も急上昇していったし、業界が最も熱かった期間ではなかろうか。作る側も同様で、このころプロ野球とプラモに関心を持ったことがない男子小中高生は、めずらしいほどだった。
府羅茂征策(プラモ製作)というふざけたペンネームまでこしらえ、校内の旗手を自認していた私だが、やがて意志薄弱ゆえにモデラーを退いて、はや四十年近くが経ってしまった。しかし十代のプラモ漬け時代は、自身の黄金の時代。何かのきっかけで記憶が鮮烈によみがえり、回想にふけるのが楽しくないはずがない。
そんなとき、想念は手がけた数多(あまた)のキットを行き来し、私にとっては消息不明のさまざまなメーカーへと飛ぶ。かつての大御所のマルサン、現在も君臨するタミヤじゃなくて、三共、三和、エルエス、ヤマダ、日東科学はどうなっているのか。さらには「日本プラモ正史を誰か書いてくれないか」と、妄想は際限もなく広がるのだ。
さよう、私にとっての「残してくれると嬉しい歴史」は、個人的回想記でなく客観的に調べ上げた国産プラモデル通史なのである。だが、自分も著述家のはしくれ、そんなもの出るわきゃねーよ、と一人合点して、いやいや仕事に戻るのがパターンだった。
ところがなんと、その夢想の本が出てしまった。日本プラモデル工業協同組合の肝いりで作られた『日本プラモデル50年史』。まさしく破天荒、疑いの余地なき驚天動地の出版大事業(私にとって)。