男女の性は長いあいだ家族制度のなかで、あくまで結婚と出産という目的に押し込められていた。快楽や欲望という秘密の領域が公認されるようになったのは、20世紀になってからだった。家庭における夫と妻、父と母という役割を果たすことが、必ずしも人間の愛情生活の全てではないことを大衆に知らしめたのは、もっぱら小説である。
日本の小説家で初めてそれを正面から描いたのは、谷崎潤一郎だった。しかも彼は、マゾヒズムという新奇でアブノーマルな欲望をおおっぴらに掲げたのだ。明治44(1911)年に発表された初期作品の「刺青」には、美しい足の女に踏みにじられ「肥料(こやし)」となることを希う刺青師の、妖しい妄執が描かれていた。同時に、男の懇願に応えて嗜虐の欲望に目覚め、眼を剣のように輝かせる女の変身もまた、そこには書かれていた。
それから1世紀を経た今日、性愛の世界はもはや暗黒のタブーなど存在しないと見える。あらゆる異常や背徳が、あからさまに晒されてきたといっていい。それゆえ逆に、異常と正常との、背徳と良識との、そのあわいは、日常という不透明な靄に包まれてかえって見定めがたくなったように思える。
多くのファンを驚倒させた『ダブル・ファンタジー』から3年たって発表された本書は、大胆な性の冒険をさらに踏み込んで描いている。穏やかな日常を送っていた夫婦が、サディズムやマゾヒズムに覚醒するというドラマを描きながら、しかし同時に禁断の快楽と日常との不透明な「あわい」のリアリティを、輪郭濃く描ききっているのである。『ダブル・ファンタジー』を上回る意欲作といえるだろう。
東京の浅草で3代続く呉服屋の一人娘、結城麻子と夫の小野田誠司。そして京都で葬儀屋の婿養子となった桐谷正隆と妻の千桜。この遠隔地の2組の夫婦がそれぞれ関わりあっていくことになる。