書評

ディマジオ+メイズ÷2

文: 加藤 良三 (日本プロ野球組織コミッショナー)

『野球へのラブレター』 (長嶋茂雄 著)

 二人は守備も傑出していた。

 ディマジオの守備は優雅でファイン・プレイをファイン・プレイに見せない。

 ヨギ・ベラ(アメリカ版「チョーさん」的「語録」で知られるヤンキースの大捕手)は、「ジョー(ディマジオ)の足は特別速いとは思わないのだが、何故か必ず間に合って打球に追いつくんだ」と評した。

 メイズはイチローよりはるか前、外野のフェンスが板かコンクリートの時代にセンターオーバーのフライに背走し、捕球後そのままフェンスを駆け上り、空中回転して着地するという離れ業を見せた人である。

 おそらく、彼にとって道とは左右だけでなく、上下にも分れるものであり、偶々(たまたま)道が直角に上向きに曲っていたから道なりに辿(たど)っただけだという感覚だったのではないか。プレイの瞬間、フェンスが立ちはだかる壁でなく、道の延長ととらえられた、そういう境地だったのではないか。

 あれこれ考えると、長嶋茂雄がディマジオ・プラス・メイズ割る2という水原評は正鵠(せいこく)を射ていると思う。

 私は落語も好きである。

 年齢が年齢なので、古典落語、それも大分前の落語になってしまうが、結局八代目桂文楽と五代目古今亭志ん生が私にとっての二大名人である。

 こうした比較に意味はなかろうが、印象だけからいえば、長嶋茂雄が志ん生型、王貞治が文楽型である。

 文楽は楷書の芸、志ん生は草書の芸と言われたかと思う。

 文楽はどの演目も初めから終りまで完璧に整えられている。

 志ん生の方は、同じ噺(はなし)でも日によって違うところがあるし、酔って高座に上った日など、枕から入って本題が予告とは違った噺になっていたということもあったらしい。

 さはさりながら、この四者に共通するのはおそろしい程の鍛練を通じて四者四様の「間(ま)」をマスターしていることである。

 そこから四者四様の他人に真似の出来ない「風格」が漂って来る。

 ここで若干志ん生風に唐突に結びに入る。

 私に、冥土の土産が沢山あるとは思えない。

 しかし、只一つ。

 長嶋茂雄は自らの生涯打率(三〇五)を間違えて、下方修正(三〇四)して記憶していた(対談の中にこれは出て来る)。

 ウィリー・メイズは自分の生涯盗塁数(三三八)を間違えて三三四だと思っていた。

 私はこの二人の超大選手の記憶違いを直接本人の目の前で訂正する機会と名誉を得た(尤〈もっと〉も、先方の記憶した数が記録よりも大きいものであったら、私は敢えて訂正を試みなかったかもしれない)。

 何よりも、その「間違い」を私が指摘した時に両者が発した笑い。あれが「快笑」というものなのか、「ああ神様にも少年時代があったんだ」と思わせる笑いであった。

野球へのラブレター
長嶋 茂雄・著

定価:840円(税込) 発売日:2010年08月20日

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