インタビューほか

真実を求めつづけた強靭な宗教思想家

「本の話」編集部

『無量の光――親鸞聖人の生涯』上下 (津本陽 著)

──一二〇七年に後鳥羽上皇による専修念仏の停止(ちょうじ)があり親鸞は流罪で越後に配流されます。一二一一年に許され入洛の許可が下りますが、京都に行かず、その後東国に布教に行き、その地の門徒は一万人に及びます。

津本  東国での布教は成功します。そのままいれば生活が安泰だったのに、わざわざ六十歳を超えてから京都に戻って、経の研究に没頭します。当時の一万人ですから、ものすごい数です。やろうと思ったらなんでもできたでしょう。でも、それを振り切っています。

  京都では地所はなく、家を持たず、お寺に住まわせてもらって、自分のそばにいるのは末娘の覚信尼と甥の二人だけ。東国からの寄付などで食いつないでいます。でもそれもだんだん減っていきます。ですから、「私は何の力も無い。私が死んだら二人が何とか食べていけるだけの援助をしてやってくれ」と死ぬ前に東国の門徒に手紙を書いているくらいです。

  飢饉とかがきたらとたんに飢えかねない状態だったでしょう。そういう状況で著述を続けています。高齢で、眼鏡もない時代にですよ。享年九十ですから、目も悪く歯もほとんどないからだで庶民を救うために研究をしていたわけです。

  本当に仏のような人ですね。親鸞聖人の一生はまさに相次ぐ苦難の連続です。一年として平穏な年はなかったでしょうし、なんにも面白いこともなかった生涯でしょう。聖人は現世の苦労はあって当たり前だと、もしここで命が尽きたら、あの世にいってまた現世に仏として戻ってきて人を助ける、と。生きる目的が初めから私たちとは違いますね。あまり物質に振り回されない、抜け出ているというのでしょうか。それでいて楽天家です。くよくよしない人ですね。

──書き終えられて、親鸞のイメージは変わられましたか。

津本  変わりはしません。親鸞聖人がいかに最後まで真実を求めつづけた強靭な思想家であったかということは実感しました。

  私は雑念の多い人間ですが、この小説を書いているときには驚くほど没頭、集中できたんです。なんだか自分の力だけではないように感じました。

──小説をいつも書いておられるときと、集中の仕方が違っておられたわけですね。

津本  この馬鹿に小説を書かせてやろうということでしょうね。何か力があったように思います。

  私は親鸞聖人が入滅された年齢に近づいてきました。だけど聖人は今の私の歳からさらに十年、研究、執筆を続けています。驚くべきことです。

──仏教に詳しいご門徒の方が読むための小説かと思ったのですが、そうではないですね。日頃、仏教と無縁の私も興味深く読ませていただきました。

津本  現代に生きづらさを感じている方にも読んでいただけたら嬉しいですね。

無量の光 上
津本 陽・著

定価:1800円(税込) 発売日:2009年12月09日

詳しい内容はこちら

無量の光 下
津本 陽・著

定価:1800円(税込) 発売日:2009年12月09日

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