神田の古書店で、江戸末期の町方与力の家で記された「三枝家文書」を発見した。借金をしてまで購入し、寝食を忘れて読みふけるうち、その一部に三枝恭次郎(さえぐさきょうじろう)の酔狂な日記を見つけ、
「へえ、これだけ剣一途のきまじめな青年が、遠山金四郎に遊び人として市井にもぐれと命じられたのか――」
と、興味を持ったのが3年前。
このたび、日記を作品化するに当たり、ぜひ本人に会ってみたいとおもったわたしは、小田急線から山手線に乗り換えて、“嘉永年間の”上野池之端にある袋もの屋〔越山〕まで出向いた。
そこは恭次郎の居候先であった。
「三枝さん。押しかけてすまないが、ひとつ、お話を聞かせてくださいな」
わたしのぶしつけな振る舞いにも、恭次郎は折り目正しく挨拶を返した。
「よろしくお願いいたします」
瞳は澄んで明るい。まっすぐな目をしているが、彫り深い顔はさわやかな中にも憂いを含んで、さながらバブル前の新宿や渋谷・六本木あたりで遊ぶ青年のようだった。とはいえ、恭次郎は江戸末期に生きた剣客である。背筋が伸び、所作に無駄はなかった。
「三枝さん。わたしは祐光(すけみつ)という三文文士です。何の縁か、百年以上も前に生きたあなたを、拙いながら描かせていただくことになりました。どうか、なじみとなっていただきたい」
面と向かったわたしが頭を下げると、恭次郎は優しげに笑った。
「すけみつ? それがしの愛刀を作った刀工の名と同じですね」
奇妙な偶然である。
「名工と同じとは恐れ多いが、わたしの目指すところも要はそれです。腕ひとつで読者(ひと)を喜ばせたい。その一心なのです。ひとを喜ばせるってのは、たとえばウナギ職人の焼きひとつとっても大変なもので――」
「ははっ、さながら半助さんのごとき物言いですね。むろん、これといってなじみとなるのに不満はないが――」
睡蓮の半助は遊び人で、恭次郎の道楽修行の師匠であった。
「その半助さんを、あなたはどうおもっているんです」
「どうかと問われれば、敬愛というほかにありません。遊び人は世間から見れば、ほめられた生き方ではないが、半助さんには筋が一本通っている」