わたしはうなずき、
「では、そうした遊び人になれと命令を与えた遠山金四郎は、あなたの目にどんな風に映りましたか?」
「一言でいって、大きなお方です。お奉行であったときと、ご隠居となったときとは違いがあったかも知れないが、いつでも飄々となされて、どうにも、それがしには捉えきれません」
「ふうん。テレビの金さんとは大違いなのかな――」
「てれび?」
「あっ。いえいえ。こちらのことで。ところで、芸者の美秋さんや〔越山〕の一人娘であるお敬ちゃんはどうなんです? 恋のお相手でしょう?」
「こ、恋なんて、それがしにはふさわしいものじゃありませんよ」
と、恭次郎は著(いちじる)しく赤面した。
といって丸山遊女の富士森に初恋をしたことは日記を読んでわかっていた。わたしは吹き出すのを我慢する。どうやら、この男はひとを笑ましくさせるらしい。
「さて、これからの展開をご本人はどう考えておられますか?」
恭次郎は考え込んだ。それでなくとも、ひとつひとつの質問に恭次郎は丁寧に、誠実に答えようとする。
「そこなのです。それがしは先々が不安で仕方がない。遊び人という仮面をかぶって、いったいどれだけ巧く振る舞えるのでしょうか?」
それは、日記を読み進んでみなければわたしにもわからない。
仮面をかぶらねば生きていけぬ現代人のごとき悩みを打ち明けた恭次郎は、たしかに悩ましげだったが、さして深刻には見えなかった。
幼くして両親を亡くしているという。
それでも、愛情に恵まれてすくすくと育ったのだろう。精神に濁ったところがない。青年らしい見栄をはらず、初対面のものを疑うこともなく悩みを打ち明ける素直さは、この男が人間を信じている証かも知れなかった。
「たしかにどれだけ悩んでいても、煮売り酒屋の〔五郎八〕で旨いものを食べると、なんだか、それでいい気がしてくる。それがしの苦悩など、小鉢一杯分の深刻さなのでしょうね」
という本性が、独特の愛嬌を生み出しているようだった。
それにしても、受け答えも態度も堅い。恭次郎のきまじめさは一筋縄ではいかないようだ。この青年が道楽修行を続けたならば、いったい、どんな男に変貌していくのだろうか――。
わたしは、恭次郎の日記への興味がますますわいてくるのだった。
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