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「記録」より「記憶」でふり返った昭和30年代

「記録」より「記憶」でふり返った昭和30年代

文:鴨下 信一


ジャンル : #ノンフィクション

  この「絞首刑」が、ぼくの〔震えた〕原因だ。

  それは、いわゆる外人の日本語のアクセントで、どう表記したらいいか、〔コーシュ、ケイ〕とでも書いたらいいか。この外人ふう日本語にはまいった。普通の発音なら印象はだいぶ違ったかもしれない。あの発音でやられると、もう一度日本の敗戦を目の前につきつけられるようだった。

  当然この音源が残っていて、番組の中でもそれが使えると思っていたのだが――東京裁判の映像素材を集めてみると――これが、ない。

  英語だけで終っているものが多いが、そんなはずはない。日本語の通訳がなければ、日本人である被告に対して刑の言い渡しにならない。日本語のアナウンスが入っているものもある。しかしぼくがラジオで聞いたものとは違う。明らかに後からダビングしたもので、普通のアクセントの日本語で喋(しゃべ)っている。

  東京裁判の法廷での同時通訳が日本人二世の手になっていたことは、例えば児島襄『東京裁判』(中公新書)でも明らかで、通訳の間で死刑に決まっている東條の通訳がイヤで順番を譲りあったとある。

  アシスタントたちは、どうもぼくの記憶のほうを疑っているようだが、そんなことはない。東京裁判の記録フィルムの他のところで、例えば「被告は証人席へ」と通訳している声が入っている。それを聞くと、たちまちあの「絞首刑」が耳に蘇ってくる。(松本清張の『声』の電話交換手の話と同じように)演出家の耳はそんなに年齢で衰えるものではない。あのラジオは法廷で東條がヘッドホーンで聞いたのと同じ同時通訳をそのままオン・エアーしたものに違いない。

  とにかく放送まで出来るだけ探すつもりだが、どうして一般の人が手の届くようなところにこの〔歴史的音声〕が残っていないのだろう。ぼくのようなショックを受けた人間が多いことを顧慮して、どこかで湮滅(いんめつ)させたのだろうか。

  ただ、当時を知らない人が、判決は英語だけで言い渡されたとか、ごく当り前の日本語で通訳されたとか、将来そう思ってしまうことがやっぱり困る。どうもこのへんが[標準化されて書かれた]一般歴史の弱味なのだろう。

  もう文春新書で二冊出した『誰も「戦後」を覚えていない』は、そこの不満が書いた動機だった。

  戦後の食料難は、たしかに食べ物はなかったけれども、最大の苦痛は毎日三食同じ〈芋〉を何週間も、“調味料なしで”食べねばならなかったことだとか、美空ひばりは〈昭和の歌姫〉でも何でもなく、憎しみさげすみの対象だったとか、そのお蔭で日本が復興したといっていい朝鮮戦争には日本人全体が無関心で〈夕涼みの縁台の話題〉程度だったとか――そういうところから筆を起こした。

  今度の『誰も「戦後」を覚えていない[昭和30年代篇]』も、松本清張は重厚な巨匠でも何でもなく、モダンな、最先端を行く流行作家だったとか、映画は芸術ではなく、クロサワも小津もとても娯楽的だったとか、連続殺人犯の時代だったとか、そのへんから見た現代史、記録よりも記憶からふり返った戦後史と思って書いてみた。が、どうも記憶違いもあるらしい。そこが少々恐いところだ。

誰も「戦後」を覚えていない [昭和30年代篇]
鴨下 信一・著

定価:788円(税込)

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