ある〔時代〕を生きてきた自分の〔記憶〕と、その時代を書いた歴史の標準的・普遍的な〔記述〕とが一致しない、「どうも覚えていることと違うなあ」ということが始終ある。
こんど『誰も「戦後」を覚えていない[昭和30年代篇]』を書いた動機がまさにそれで、実はこんなことがあった。
いま年末のテレビ特番『あの戦争は何だったのか――日米開戦と東條英機』のドラマ部門(ドキュメンタリィ部門と、流行のハイ・ブリッド番組になっている)の演出をやっている。東條はビートたけしで、これがヒゲをつけ、眼鏡をかけ、特殊メークで禿頭にして軍服を着けると、(ちょっとふっくらはしているが)驚くほど似ている。
ぼくの年代だと、イヤというほど写真だ、ニュース・フィルムだで見ている顔だが、日本とどの国が戦ったのかもアヤしい若いAD(アシスタント)でもよく似ているという。どうしてわかるのだと聞くと、「東條だけは教科書に写真が出ている」からだそうだ。
その東條の短かい(ほんの二、三カット)実写フィルムをドラマ部門でも使っている。
判決(量刑言い渡し昭23・11・12、執行12・23、偶然だが翌日のクリスマス・イブが番組の放送日になった)の時のもので、東條は、絞首刑の判決を聞いてちょっとうなずき、ヘッドホーンをはずして法廷を去る。印象深いカットだ。
通称は〔東京裁判〕だが正式には〔極東国際軍事裁判〕で、裁判長はオーストラリアのウエッブ。彼が読み上げる判決文は英語で、量刑の言い渡しは被告全員でたったの十七分しかかからなかった。極端に短かい。しかし文末のデス・バイ・ハンギングに、聞いていた日本人は震えたはずだ。
テレビはまだありっこない、聞いたのはラジオである。NHKだけ。それにかじりつくようにして聞いた覚えがある。生放送だ。
この英語の判決文朗読には日本語の適訳がついた。ウロ覚えだが、これも非常に短かく「(被告)東條英機、あなたは有罪、絞首刑」だったと思う。
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