しかもその記述はあくまで人間主体で、空疎な一般論や概説に陥ることがない。何といっても、「コンニャク屋」の面々のとびきり魅力的な個性が、本書をしっかりと支えてくれているのである。海で鍛え上げられた肉体を持ち、熱い連帯精神で結ばれ、大らかであけっぴろげで、しかも経験にもとづく英知を秘めている。そんな海の人々のあいだでも一目置かれていた一族の、あふれんばかりの人間味に魅了されずにはいられない。何しろ皆さん、独自の語り口を備えていて、実に話し上手なのである。たとえば御年まもなく九十二歳、量太郎なき「コンニャク屋」を現在ひとりで守る元海女「かんちゃん」の、こんな話しぶり。
「コンニャク屋ときたらもう、看板のうちであったの。人がようて情けがあって。そろいもそろって、みんな情けがある人どもなんだ。人をかわいそげがんの。そいでユーモアがあって人を笑わせて、人間が利口なの。わりいけど、そうなんだお。かんが一人、大馬鹿でよう」
「コンニャク屋」が漁師仲間たちにとってどんな存在だったかが、これだけで伝わってくる。「賑やかどころでないんだよ。みんな集まっと、這ってんの、笑っちゃって。座ってらんないんだお」という証言もある。いにしえの、笑いと人情に満ちた暮らしぶりが、年老いた親族の快活な口調のうちに今なお保たれている。その言葉を丹念に、愛情込めて書きうつすことこそ、生きた記憶を伝承することなのだと思わされる。ここでの星野さんは、写真という自家薬籠中の記録手段を用いず、文字によってみごとに個々の人間の精彩あふれる佇まいを定着させてみせている。
子ども時代の星野さんにとって、「かんちゃん」は「とにかくふくよかな柔らかい体」の持ち主で、しかも「何かにつけ私をぎゅうぎゅう抱きしめる」。「その抱かれ心地のよさといったら、母猫のおっぱいを飲んで恍惚とする仔猫みたいなもの」だったという。岩和田の町が、縁もゆかりもない読者にとって懐かしくもいとおしく感じられてくるのは、文章をとおして人肌の柔らかさやぬくもりが如実に伝わってくるからだ。「かんちゃん」の話には、四百年前に漂着したメキシコ船の故事も登場する。難破船に乗っていた人々を救おうと、岩和田の住民は「腰巻一枚」で秋の海に入り助けたのだという。
「火よかね、体温が一番いいんですって。鼻の高えもんどもをよ、裸で抱いて温めたってよう」と彼女は村の言い伝えを語るのである。
本書はまさに、そうした温かさを読者に分け与えてくれる書物である。「世界の果てを探すことにやっきになっているうちに、私は自分の世界を失ってしまったのかもしれない」。『迷子の自由』でそう洩らしていた著者は、足元の地盤を掘り下げて、見事に「自分の世界」を探り当てた。「コンニャク屋」の精神を受けついで、星野さんはたくましく漂流を続けることだろう。実際、本書ののち刊行された『島へ免許を取りに行く』、そして『戸越銀座でつかまえて』では、旅やさすらいの感覚を保ちながら、地に足のついた観察眼が存分に発揮されていて、エッセイの味わいはいよいよ増している。漁師的と形容したくなるようなきっぷの良さと思いやり深さが、書き手としての星野さんの無二の個性であることもしっかりと確認できる。星野さんはぼくらにとって、いつもその新刊が待ち遠しい作家であり続けるに違いない。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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