物語を紹介しよう。主人公は大阪の土木建設会社に勤務する町田茂樹と京都の呉服屋で辣腕をふるう須川美花の二人である。
町田茂樹が得意先をまわり、社に帰ると机にメモがあった。スガワ様から電話あり、電話をくださいという。京都の須川美花で、茂樹の異母妹だった。
茂樹が電話をかけると、島根の岬の町に住む美花の祖母が心筋梗塞で倒れて危篤だという。二人は急いで島根に向かう。茂樹は二年前に妻に先立たれ、翌年母親も亡くしていたし、美花も母親を亡くして祖母だけだった。岬の町は、茂樹にとっても、幼いころから何度も遊びにいった思い出の土地でもあった。
だが、二人が高速にのってすぐに祖母の訃報を耳にする。そして美花は、自分の父親も母親も本当は別にいるのではないかとおかしなことを言い出す。茂樹は気になって葬儀のあと、自宅に戻り、母の遺品の一つのノートを見いだす。そこには「許すという刑罰」という謎のメモがあった。一方、美花の家には、赤ん坊の美花を抱く男の顔がくりぬかれた異様な写真が一枚残されていた。
茂樹は、美花は本当に自分の妹だろうかという疑問を抱くようになる。茂樹と美花は、出生の秘密を探り、いちだんと絆を深めていくことになるのだが……。
読み始めたら一気だろう。だれもが宮本輝の語りの巧さに言及するけれど、本当にほれぼれする巧さである。先日久しぶりに対談集『道行く人たちと』を手にしたら、芥川賞受賞決定後に行われた田辺聖子との対談「小説のおもしろさ」(初出「文學界」一九七八年三月号)で、田辺に“物語作家の素質があるのかなあ”といわれて、宮本は“ひょっとしたらそうかなあと思うときもありますけど、ただ、それがぼくの場合、吉と出るか凶と出るかまだわからないですね”と答えている。いやはや、芥川賞の段階で見抜く田辺も、それに答える宮本輝もすごいし、実際物語作家としても磨きをかけて大成し、話づくりの巧さは群を抜く。僕は仕事がら国内外のミステリを数多く読んでいるけれど、ミステリ作家を含めた作家たちのなかから語りの名手のベスト5を選べといわれたら、僕は躊躇なく宮本輝を入れるだろう。作品にふれるたびにほとほと感心する。この小説もそうである。
これはまず出生の秘密を探るミステリといっていいだろう。さきほど紹介したほかにも、謎の預金通帳や隠されていた複雑な人間関係が次第にあらわになり(上巻なかばの新聞記事にはびっくりする)、謎が解かれたと思ってもまた別の謎が内包されていて、茂樹と美花の探索は深まり、さらに茂樹と美花の会社人としての仕事と人事の葛藤も加わって、いちだんと物語は重層化していくのである。
上巻の終盤で、“人間ていう存在そのものが、とんでもない謎なんや”、下巻の冒頭には“人間てのは魑魅魍魎です。だからこそ、他の動物にはない精神活動を営み、そこから多くの知恵も湧いてくる”という台詞が出てくるように、いったい父親と母親たちは何をしていたのか、どんな秘密をもっていたのかが、いくつもの相反する証言を検証しているうちに浮かび上がり、茂樹と美花の関係を左右するようになる。二人はいったい兄と妹なのか、それとも血縁はないのかどうかが二人の感情を揺さぶっていくのだけれど、いつしか元に戻れないところまでいってしまう。
この小説では、兄と妹の愛のテーマが大きくしめる。冒頭の場面から、そのテーマをうちだすために、焚火にまつわる情景から、二人のそれぞれの感情を伝えている。まず茂樹は、岬の家で美花と一緒に焚火をして遊ぶことがなぜあれほど楽しかったのかを考える。“人は原始のとき、火がよるべであり、生活のあらゆる武器であり活路であって、だから人は、火が好きなのだという学者の説は”正しく聞こえても、茂樹には“まやかし臭く”思える。なぜなら美花との焚火遊びは、“秘密めいた生への歓びであり、どこか性的なときめきをもたらす火照りの源”だったからである。一方美花は、焚火が好きなのではなく、“焚火の火の前に立っている兄が好きだった”、“安心できる暖かさ”がというのだが、関係が進展するうちに、それもまた微妙にかわっていく。
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