『大好きな本』は、一九九七年から二〇〇七年までの、十年間に書いた書評を集めた本です。なかなかに厚い冊子となったのですが、それはきっと、この間にわたしが新聞の書評欄に書評を書く仕事を、ずっと続けていたからなのだと思います。
一ヵ月に一つか二つの新聞書評。それを書くため、二週間にいっぺん、その間に出た新刊の本を実際に手にとって読みに、新聞社に通いました。書評は、さまざまな分野のひとたちが書いています。ですから、二週間にいっぺんの会合では、いつもならば決して会う機会のない、国際政治学者や、哲学者や、映画監督や、天文学者や、会社経営者と、一緒に夕飯を食べ、誰がどの本を書評するかを取りっこ――一つの本を書評したい人が複数いる場合、「自分がその本をいかに書評したいか」ということを熱心に主張しあい、きそいあうのです――、することになるのです。
書評の権利のとりあいに関しては、なつかしい記憶がたくさんありますが、ことによく覚えているのは、北村薫さんの本のとりあいでした。
それはたしか、今から十数年前のことでした。それまで「ミステリーは人が死ぬからこわい」と、幼児のような理由でミステリーを避けていたわたしでしたが、当時はじめて北村さんの小説を読んで、「こ、このミステリーは、こわくないけれど、それよりももっとこわくて、面白い。ミステリーとはこんなにいいものだったのか」と開眼した時期だったのです。
『スキップ』、『ターン』、『リセット』の三部作に読みふけり、円紫さんシリーズにはまりこみ、もっと北村薫を! と叫びながら当時のわたしは日々を送っていました。そこへ、北村さんの新刊があらわれた。この本を書評するのにふさわしいのは、このわたしをおいて、ほかにいるものか。そう勝手に思いこみ、手をあげたところ、もう一人の書評希望者が、さっと勢いよく手をあげたのでした。
わたしたち二人は、激しく争いました。相手は小説家ではなかったので、わたしは卑怯にも「小説の書評は、小説家がする方がいいと思うんです」などという飛び道具を繰り出したりもしました。いっぽうの相手は、わたしよりもずっと品のいいひとだったので、「いや、哲学者の方がむしろ小説家などよりも小説のことをよく論ずることができると思うのですよ(そのひとは、哲学者なのでした)」などということは言わず、ただ遠慮深く、「でも、私もどうしても北村薫さんの小説を書評したいんです」と言いつづけたのです。