後藤新平が、西郷隆盛に往来で出会った思い出を書いている。新平、十五歳の夏である。太政官の役人、荘村省三の食客時代、あるじが出退勤する時、供をしていた。向うから歩いてくる人物を見かけた荘村が、突如、下駄をぬいで最敬礼をした。すると歩いてきた人が、ニッコリ笑って、「お暑うごんすな」と言って通りすぎた。荘村が新平の耳に、相手の名前をささやいたというのである。新平は、はっと思い、後ろ姿に目をやった。西郷さんは薄色の背割(せさき)羽織に短い袴(はかま)、下駄ばきで、大小を指し、両手をぶらりと下げていた。明治四年ごろの西郷さんである。
「西郷吉之助に会った話」と題したこの思い出は、大正十五年の六月号に発表された。
つまり、維新に活躍した人を直接知る者が健在で、このような貴重な証言を「文藝春秋」に寄せていたのである。
牧野伸顕(のぶあき)の「回顧録」は、昭和二十一年七月号より連載された。牧野は大久保利通(としみち)の二男で、文久元年に生まれた。外務大臣、内大臣などを歴任した。吉田茂は、牧野の女婿(じよせい)である。吉田茂のむすこの健一が、聞き手となって「回顧録」をまとめた。資料収集は文芸評論家の中村光夫が尽力した。連載終了後に単行本になったが、本書には牧野の幼年時代から、十一歳で岩倉遣欧使節(けんおうしせつ)に加わり渡米する直前までの、連載第一回分が収められている。牧野が亡くなるのは、昭和二十四年である。この連載は、当時評判になった。「文藝春秋」の数ある「掘り出しもの」の中の一本である。「文藝春秋にみる」という冠詞には、そういうスクープの意味もある。
スクープといえば、本書の最大の目玉と思われる、すこぶる貴重な一篇が収められている。
「『青い目の嫁』が見た勝海舟」である。
これは海舟の息子の梅太郎と結婚し、六人の子の母となった、アメリカ人クララ・ホイットニーの日記を、海舟の曾孫の国際法学者、一又正雄(いちまたまさお)が翻訳し紹介したもので、昭和四十九年十月号に載った。クララの日記が、この時初めて公開されたのである。そもそも日記の存在が明らかになったのがこの年の春で、クララの名前さえ一般には知られていなかった。従ってこれは「文藝春秋」の大スクープ記事である。ただし、発表されたのは十七冊の日記の一部であった。
一又氏は全文を翻訳出版すべく傾注したが、病を得て完成に至らなかった。夫人の民子さんが高野フミ、岩原明子、小林ひろみ三氏の協力を仰ぎ翻訳を続け、昭和五十一年に講談社より『クララの明治日記』の書名で上下二巻を発刊、のちに本書は中公文庫に入ったが、現在はどちらも絶版で、新刊では読めない。
抄録でも、十分、楽しめる。一又正雄氏は、十五歳のクララが来日した明治八年八月三日から、十六年十二月七日の、山川捨松(すてまつ)と親しくなる項目までを、解説をまじえて紹介している。タイトル通り、勝海舟とその一家の動静部分を主として抽出(ちゅうしゅつ)している。だから、非常に読みやすいし、わかりよい。
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