しかし、読みながら、随所で、奇妙な違和感に捉われたというのも事実だ。待てよ、これを書いたのは、中国人ではない、日本人なのだぞと、ふと気づく。その時感じたことを的確に伝えることのできる言葉が思いつかないので、とりあえずの言い方でお許しいただけば、何度も、とても落ち着かない不安定な気分に追い込まれて城戸さんの自伝を凝視する自分がそこにいた。
その理由は、多分、こうなのだと思う。
あの忌まわしい戦争があったから、そしてその戦争のために家族が離散し、一人、孤児として中国に取り残された日本人がいたから、私たちは、今この本を手にしている。それは、償いようもない悲劇と引き替えでかち得た、理不尽で不条理な、苦渋いっぱいの果実という言い方もできるのだが、その理不尽さには、お前も加担している一人ではないのか…。
だが、城戸さんは、第一章最後の「玉福一家の『小康生活』」に見るように、そんなものとは全く無縁の、何の屈託もない底抜けの明るさで自身の半生を語ってゆく。もちろん、その明るさは、実父・城戸弥三郎さん、実母・由紀子さんからの血の継承もあってのことだろうが、それよりも私は、人格形成の一番大事な時期に共に生きた、養母・淑琴さんの誠実で大らかな生き方が大きく影響していると、信じている。
以後の展開、肉親捜し、たった一人での日本への帰国、帰国後の第二の人生については、ぜひ本書をお読みいただいて深い感動を追体験していただきたいが、この文庫の編集者から撮影時の話もとあったので、一つだけ簡単に紹介しておきたい。
古い街がどんどん再開発され消えて行くのは、日本だけではない。牡丹江市も、城戸さんが淑琴さんと暮らした古い長屋は、日本帰国後に再訪した城戸さんが「驚いた!」と書く通り、七階以上のアパートが林立する町に一変してしまった。ということで、二人が住んだ家のシーンは牡丹江市に適当な所がみつからず、長春の近くの范家屯という町で撮影することになった。その町の名前を聞いて、「え?」と思われる方もたくさんいらっしゃるのではないだろうか。その通り、「大地の子」で、陸一心の養父・陸徳志の住む町が范家屯だった。実際に徳志の家の撮影も、平成六年から七年にかけて范家屯で行われた。「遥かなる絆」の撮影は平成二〇年。二つの撮影地は同じ町でも数百メートル離れてはいるが、奇しくも、中国東北部の鄙びた小さな町で、十数年の歳月を経て、中国残留孤児を題材にした二つの物語が接点を持つことになった。
最後に、この本の単行本刊行時に、城戸久枝さんが寄せた言葉でこの解説を終わることにしたい。
そこには、父への敬愛の思いがこれ以上なく熱く込められている。
「父が書いたこの本の原稿を初めて目にしたとき、私は熱くこみ上げてくるものを堪え切れなかった。この本には、私が描くことのできなかった父の人生の物語が、余すところなく描かれている」
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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