中国東北部の頭道河子という村を三回訪ねました。牡丹江市から北へ車で一時間半、畑や田んぼの広がる、丘陵地帯を縫うように走る砂利道を通って辿り着く村。その村の外れを流れる牡丹江河畔に立つたびに、いつも思うことがありました、人間の運命とは一体何なのだろうかと。
この村に、四歳から八年、中国名・孫玉福として生きた城戸幹さん。三度目に訪ねた時は全面氷結した牡丹江でしたが、いたいけない子供がよくこんな所にと、言葉を失って立ちすくむのです。そして、あらためて、肉親でもないのに幹さんを慈しみ育てた養母・付淑琴さんの深い愛を思います。
以前作ったテレビドラマ「大地の子」は、背景に中国残留孤児の方々の苦難の物語はありますが、実際は山崎豊子さんが綿密な取材を経て作り上げた壮大なフィクションでした。しかし「遥かなる絆」は、ドラマですから完全に事実ではないにしても、まぎれもない真実です。
一九七〇年、祖国日本へ向かう幹さんと淑琴さんの別れの駅頭シーン。発車間際の列車のそばでホームに崩れ落ち、「玉福、行かないで!」と泣き叫ぶ養母の姿。淑琴役の岳秀清さん、玉福役のグレゴリー・ウォンさん、そして見送りの中国人俳優たちの迫真の演技があったからという理由もありましたが、それでもその情景は、この地方で、いや、中国東北部のたくさんの町や村で、何十回何百回と繰り返されてきた現実です。私たちは、酷寒の氷点下二〇度という厳しい条件の中、自分たちもその真実の現場に、今確かに身を置いているという身震いするような感動で撮影を続けていました。(後略)
これは平成二一年四月に放送されたNHK土曜ドラマ「遥かなる絆」が、半年後にDVDで発売されることになった際、演出者の言葉として書いたものだ。ドラマの原作は「あの戦争から遠く離れて~私につながる歴史をたどる旅」というノンフィクションで、執筆者は城戸久枝さん。城戸さんは初めて書いたこの作品で、大宅壮一ノンフィクション賞や講談社ノンフィクション賞などを受賞することになった。
その城戸久枝さんのお父さんが、この本の著者、城戸幹さんである。
今でも忘れられないことがある。「遥かなる絆」を作るために、城戸幹さんに初めてお会いした。たしか、放送の二年前、平成一九年の秋だったと思う。城戸さんの中国時代について、かなりお訊きしたいことがあって松山市に近いお宅を訪問、まず、「ずいぶん苦労されたんでしょうね」と、質問の口火を切る。当然「大変でした」という言葉を期待しての質問だったのだが――。
「いやあ、苦労というより、楽しかったですねえ」
思わず耳を疑った。でも、やわらかい笑顔を絶やさない城戸さんは、たしかに、そう答えた。
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