私が「大地の子」を作ったことは、初めに紹介した演出者の言葉通りである。ご存じの方も多いだろうから、「大地の子」の内容に触れるのは少しだけにしたいが、原作は、紹介した通り、去年九月に亡くなった山崎豊子さん。城戸さんと同じ中国残留孤児の、特に文化大革命の前後に苦境を背負って生きた中国名・陸一心の物語である。陸一心は、日本人という出自のために、大連の工業大学、大連鋼鉄学院で知り合った初恋の人に去られ、文革では辺地の労働改造所にまで送られるという絶望的な刑まで背負わされる。
城戸さんにも、同じように、そのあとの命運を決定づけるある出来事が起きる。この運動については、本書の一五六ページ前後をお読みいただきたいが、一九四九年頃から中国全土に反右派運動の気運が高まり、その奔流は激流となって学校教育の現場にも押し寄せてくる。その一つに「交心運動」という、共産党に心のすべてを曝し出さなければならないという運動があり、高校生だった城戸さんは、やむなく、それまで「漢民族」と書いていた履歴書を、「日本民族」と告白、書き直すことになった。その結果は、城戸さんが本書で「私にとって、交心運動こそが、まさに人生を狂わせた最悪の一コマであった。私、孫玉福の一生が狂ってしまった」と述懐するほどに、まず大学入試に繰り返し失敗、正当な職業も奪われるという残酷な運命につながるのだが、そして、この経緯については、久枝さんの「あの戦争から遠く離れて」にも詳しく書かれていて、城戸さんと初めてお会いした時の、「苦労されたのでは」という私の質問になるのだが…。
では、城戸さんは、何が、どうして、楽しかったと言うのか。
まず、養母・付淑琴さんとの出会いがあった。「大地の子」で言えば、陸一心、当時の名前・丁大福と、養父・陸徳志との出会いに符合する。中国残留孤児の場合、特に都市部から遠く離れた農村では、日本人孤児を引き取るということは、働き手が一人、無償で確保できたという意味合いでしかない。城戸さんが四歳に満たない年齢で辿り着き、その後八年を暮らすことになる頭道河子村は、本文中の城戸さんの言葉を借りれば、「農業と畜産を中心とした自給自足の村で、お金になるようなものと言えば、主に食糧、そして野菜と養豚」というまさに典型的な極貧の農村で、普通なら城戸さんも、その村でただ牛馬のように働かされるだけの一生で終わっていたかもしれない。
しかし、淑琴さんは違っていた。身ごもった子を流産で亡くして、二度と子供を産めない体になったという理由もあったが、夫の孫舜昌さんと二人で、孫玉福と名づけた城戸さんを深く広い愛で包み込み、育て上げた。だから、城戸さんは、楽しかったのだ。
その楽しかった子供時代を、城戸さんは、小学校から中学、そして高校合格まで、授業から日常の遊び、さらに当時の中国の農村の実態まで、第一章「悲運の中で」第二章「南屯と北站の思い出」第三章「海林中学の三年間」と三章にわたって余すところなく活写し、描き切る。
特に、一九四八年から始まる中国の土地改革についての記述は圧巻だ。地主打倒と土地平等分配という土地改革を契機として、一つの村の組織が根底から変えられて行く様子が、実体験者でなければ絶対に書けない筆致で描写される。それは、個人的な反省をこめて言えば、「遥かなる絆」も「大地の子」も、この本が先にあったら、随分と作り方が変わっていたのではないかと思うほどである。
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