デビューまでの夢の遍歴
――料理研究家志望がいつ小説家志望に変わったのですか。
柚木 漠然と小さい頃から作家になりたいとは思っていたのですが、中学・高校と、挑戦はしてみるものの、どうしても難しくて小説が書けなかったのです。脚本は書いていました。でもコルドン・ブルーでフランス料理の修業をする、という大きな夢もあって、フランス料理やるならフランス語覚えたら、という風向きになり、大学の仏文科に進学しました。ところが一瞬にしてフランス語習得は挫折。でも、大学時代に読んだフランスの小説には魅せられて、今でも『ボヴァリー夫人』は繰り返し読んでいます。
――どんな作家を読まれたのですか。
柚木 フロベール、バルザック、ラクロなどたくさん読みました。悲惨な話が多いのですが、なんというか、人間関係が込み入っているところが好きで。
――ご自分に影響を及ぼした作家は誰だと思いますか。
柚木 多分、ジュディ・ブルームかもしれません。コラムニストの山崎まどかさんいわく「アメリカの氷室冴子」という人なのですが、児童書なのに今読むと信じられないほど苦い。両親の離婚を受け入れる心情に至る子供の話とか、いじめること、いじめられることを通してクラス内の派閥のくだらなさに諦観のようなものを覚える女の子の話とか。
――大学を卒業されてから洋菓子メーカーに就職されました。
柚木 会社員としてダメだったと思います。組織がどういう論理で動いているのかが全然分からない。上司の言葉の意味が分からない。2年で退職して、塾講師とか派遣社員とかで生活費稼ぎながら、ひたすら書いては投稿していました。気分は林芙美子で、やや自分に酔っていましたね(笑)。
――2008年に27歳で「オール讀物新人賞」を受賞されるまで、実は下積み期間があったのですね。最初に小説を書いたのはいつですか。
柚木 社会人2年目の冬です。大親友にクリスマスにまつわる短篇をプレゼントしようと思い探したら、しっくりくる作品がない。そこで、自分で書いたんです。お金がないから、心のこもった贈り物をしたくて。50枚くらいでタイトルは「オードリーのクリスマス」。オードリー・ヘップバーンになりきって辛い現実をものともせずに生き抜く、女優志望の女の子の話でした。日本人です(笑)。
――これから刊行が目白押しですね。
柚木 12月と2月に出ます。3月刊と4月刊のアンソロジーにも入れてもらいます。
――頭の中は、今後書きたいことで一杯のようですね。
柚木 実はあまり読者のことは考えていないかもしれない(笑)。書いていて自分の気持ちがすっきりするもの、せいせいする話を書き続けていきたいです。