ワインに馴染みのない方であっても、ボージョレ・ヌーヴォーならご存知でしょう。毎年十一月の第三木曜日に解禁される、フランスはボージョレ地区の新酒です。第一便が成田空港に到着し、アナウンサーの女性が「今年の出来はいかがですか?」と尋ねるシーンはすっかり秋の恒例となりました。じつはこの原稿、あと一、二時間でヌーヴォーが解禁という、まさにそんな時に書いています。
ところで、「今年の出来はいかがですか?」と質問するわけは、ワインがブドウから造られた醸造酒で、ブドウの出来不出来によりワインの善し悪しが決まってしまうからです。しかもブドウの出来不出来はその年のお天道様次第。夏の気温が低く雨がちの日が続けば、ブドウは完熟せずに水っぽく酸味の強いワインになります。ではかんかん照りの年は美味(おい)しいワインが出来るかというと、そうとも一概には言えません。場合によっては酸味がボケて、バランスの悪いワインとなることもあります。これほど天気に左右されるお酒は他に類がないでしょう。ワインが工業品ではなしに農作物とされる所以(ゆえん)です。
ところが一九八〇年代から九〇年代にかけて、ブドウ畑での仕事よりも醸造技術の進歩が尊ばれた時代がありました。醸造コンサルタントの肩書きをもつ人たちがさまざまなテクニックを駆使して、濃厚で口当たりの良いワインを世界各地で造るようになりました。するとどうでしょう。フランスで造られたワインも、その反対側のチリで造られたワインも、たいして違いがわからなくなってしまったのです。いいえむしろ、気候の安定したチリが、本場フランスをコストパフォーマンスでは確実に出し抜くようになりました。
そういえば、私が初めてチリを訪ねたのは、日本がちょうどチリワインブームに沸いていた九七年。当時、現地のワイナリーが見せたがるのはもっぱら醸造所の設備です。「私たちはフランスやアメリカから最新の技術を導入した。年によって天候の安定しないフランスと違い、我が国は年ごとのバラツキが少ない。そのうちフランスを追い抜いて見せる」というわけです。実際、チリは日常的なワインだけでなく、それまでフランスの独壇場だった高級ワインの市場にも殴り込みをかけてきました。
さて、次は形勢不利となったフランスが巻き返しを図る番です。
フランスワインは伝統的に土地の名前がワイン名になっています。ボージョレもまたリヨンの北西に広がるワイン産地の名前です。フランスに限らずイタリアやスペインなどヨーロッパの生産国では、産地名をとても大切に扱っています。それはワインがその土地ならではの産物という強い自負があるからに他なりません。
ブドウを育てる場所が違えば土が違います。気候も違います。空気の流れや日当たりも違うでしょう。自然環境が大きく変われば、栽培に適したブドウ品種が変わります。またかりに自然環境の異なる二つの土地で同じブドウ品種が育てられたとしても、出来上がるワインは同じ香りや味わいではありません。この土地ごとに異なるワインの味を、フランス人はテロワールの味と呼んでいます。
しかしながら、ブドウ栽培をおろそかにして、醸造技術にばかり頼った結果、テロワールの味はじつに曖昧なものになってしまいました。ここのワインもあそこのワインもあまり代わりばえのしない、まるで金太郎飴のように似通った風味です。とくに戦後はブドウ畑での仕事を楽にするため、殺虫剤や除草剤などの農薬や化学肥料が一般に広まりました。農薬を撒(ま)くと土の中の微生物がいなくなり、微生物がいないからブドウの樹は栄養がとれず化学肥料が必要になります。化学肥料は地面の表面に与えるので、ブドウの樹の根は地中深くまで伸びようとせず、地面の浅い部分を横に広がってしまいます。これでは地面の上っ面だけから養分を受け取ることになり、その下に何層にも重なっている多様な土壌の養分をブドウの樹は受け取れません。これではとてもテロワールの味なんて言えやしません。
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