書評

『墨攻』解説

文: 小谷 真理 (評論家)

『墨攻』 (酒見賢一 著)

 墨家という風変わりな戦闘思想集団が、中国歴史上に登場し耳目(じもく)を集めたのは、紀元前五世紀ごろのことである。といっても、すぐにはピンと来ないかもしれない。

 紀元前五世紀の大陸とは、どのような世界だったのだろうか。

 大陸にあった広大な周王朝が遷都したのは紀元前七七一年、以後その力が衰え始めるや否や国々は分裂し、争いが激化する。紀元前四〇三年には、周の建国時代から既に大国だった晋が韓・魏(ぎ)・趙(ちょう)に分裂するが、それ以前の時代を春秋時代といい、以後は、政治的均衡が完全に崩壊し、下克上も甚(はなは)だしい戦国時代に突入した。戦国時代の終わりに勃興した秦(しん)が統一国家をなすのが、紀元前二二一年。

 おお、秦の始皇帝か、それなら映画で見た事があったな、とようやく時代的な見当がついたところで、本書をひもとく。すると、秦にいたるまでの戦国時代こそ、諸子百家として知られる思想家が現れて、大活躍する時代だったことがわかる。

 春秋時代末期に表れたのが、『論語』で知られる孔子だ。彼の学派は儒家(のちに儒教)と云われ、長く広く正統的な位置を占めるようになる。タオイズムとして今でももてはやされている道教の師・老子。孔子の教えを復活させ、儒家をひきついだ孟子。他にも、荘子、孫子、墨子、荀子(じゅんし)し、韓非子(かんぴし)といった思想家たちが現れ、哲学からライフスタイル、技術論、政治論、兵法論などさまざまな論を立ち上げては、戦国の世を遊説した。争いは絶えないが、自由な気風は強く、サバイバルにかけての知が強力に求められた時代だったのだろう。

 教科書的な知識をたどってみると、墨子(墨翟・ぼくてき)は、孔子のあとの時代に現れ、孟子の生まれたころには、既に亡くなっていたとされる。孟子のまとめによれば、墨子の集団は、当時もっとも儒家に対抗し、最も勢力をほこっていた一派であった。

 不思議なのは、この墨家、そんなにも勢力を誇っていたにもかかわらず、秦が統一をはかるころには、歴史上からふっつりと姿を消してしまったことだ。記録にもほとんど残っていない。後世の歴史家が、彼らの存在を再発見するのは、清朝の末期であって、その間二千年ほど忘れられた存在だった。あまりに綺麗に消えているので、ひょっとすると、抹殺されたのかな、と疑ってしまうほど、その消息は謎に包まれている。

 本書は、まさにその墨家を主題にした物語である。さすがに二千年の時を経て再発見されたくらいだから、墨家のことは今もよくわかっていないことのほうが多い。頼みの綱は、五十三編遺されているという墨子の書物と、いくつかの周辺記録。本書は、これらを徹底的に読み込んで、架空の設定に落とし込んでみせる。

 こんな物語だ。舞台は、大国の趙と燕に挟まれた小国・梁。今は趙から攻め込まれようとしており、もはや梁の運命は、風前の灯となっている。梁王は、最後の頼みの綱と言わんばかりに、墨家へサポートを要請する。墨家からは、きっとすぐれた軍師集団が派遣されるだろう、それで無事大国を退(しりぞ)けるだろう、と、期待してのことだった。

 はたして、墨家から革離と名乗る軍師がやってきた。だが、派遣された軍師はただひとり。いったい、たったひとりだけで、梁国を見事助ける事ができるのだろうか。

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墨攻
酒見賢一・著

定価:540円+税 発売日:2014年04月10日

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