優しさであったものがなぜか狂気に変化してしまい、そのことが一瞬にして笑いに転化していく。「インコは貴様だ」という絶叫も楽しい。だがこれも実は、文学において存在を問う、実存主義的モチーフだったりもする。実存主義も笑いに転化可能なのである。
物語は、この「無力感」の中で出会い主人公の師となった芸人、神谷さんとの関係を中心に進んでいく。
テレビでは見ることのできない、芸人達の確かな青春の火花が描かれていく。丹念な文章、細部にまでわたる鋭い観察眼、柔らかく、確かな文体は、言葉だけであるのに、そこに書かれている場が立ち上がり、人物達に命が吹き込まれていく小説というものの不思議を改めて感じさせてくれる。冒頭の和太鼓の音、花火の音を意識すれば、途中で出てくる「ろくでもない歌」の響きの意味合いも変わってくる。そして心に染みるだけでなく、笑える場面も満載だ。
神谷という特異で魅力的な人物が最後どうなるのか、ここで書くことはできないが、その「結末」に途中で気づけた読者は恐らく一人もいないだろう。著者独特の発想力。見事な青春小説である。そして青春小説とは、純文学の王道の中にある。
主人公の姿勢は常に純粋に描かれている。小説というものを「無駄に」壊す(誰でも思いつきそうな)試みは一切なく、芸人が小説界に「殴り込み」のような威勢もなく、真っ当に、小説と向き合う態度が貫かれている。そのように真正面から小説と向き合うことが実は一番難しいと僕は個人的に思っているのだが、著者はそれを驚くべき水準で達成している。
その理由は著者の能力の高さにあるのだが、それ以外の理由として、著者の文学への、尊敬と愛情にもあるのではないかと思う。そして著者は自身の文学の初めのテーマに笑いを選び、この小説はその笑いへの尊敬と愛情にも溢れている。優劣を書くのでもなく、いたずらに何かを排除するのでもなく、著者の目は常に視野が広く温かい。この小説はつまり、笑いと文学への尊敬と愛情の書ではないかと思うのだ。
「富士には、月見草がよく似合う」。太宰治の『富嶽百景』に出てくる言葉だが、『火花』を読んだ後の充実感の中で、僕に浮かんだのはこんな言葉だった。
火花は時に、花火よりも美しい。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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