実は大衆文芸の世界と落語や講談、浪曲などの演芸とは切っても切れない縁がある。戦前の読物雑誌では、話芸の速記に人気があり、売り物の一つになっていたからだ。今のようにメディアが発達していない時代では、大衆娯楽の供給役を寄席芸人たちが担っていたのであり、出版業界においても同じことだった。小島政二郎『円朝』(一九五八年。現・河出文庫)、富士正晴『桂春団治』(一九六七年。現・講談社文芸文庫)、結城昌治『志ん生一代』(一九七七年。学陽書房人物文庫)などの評伝も文芸の一ジャンルとして確立されている。
また、文芸ジャンルの中でもミステリーと落語は親和性が高い。たとえば都筑道夫は、代表作の一つである時代ミステリー〈なめくじ長屋捕物さわぎ〉シリーズの第五短篇集『きまぐれ砂絵』(一九八〇年。現・光文社文庫)で、すべての話を落語の見立てとすることに挑戦している(都筑の兄は鶯春亭梅橋という夭折した落語家だ)。また、北村薫はデビュー作『空飛ぶ馬』(一九八九年。現・創元推理文庫)に始まる〈円紫さんと私〉シリーズで、世間知に長けた落語家・春桜亭円紫と若い〈私〉のコンビを登場させている。演者が一人で演じ、小道具は扇子と手拭だけ、という落語という芸能はその本質に省略の要素を持っている。つまり、想像力を働かせるよう観客に求めることが要素として元々内在しているわけである。その本質を推理に利用した連作だ。
北村よりもさらに踏み込み、落語家そのものを話の題材とする作品を書いたのが大倉崇裕である。デビュー作を表題作にした『三人目の幽霊』(二〇〇一年。現・創元推理文庫)に始まるシリーズは、専門誌「季刊落語」の新米とベテラン編集者のコンビを主役にした作品である。大倉はこの他、大学の落語研究会を舞台にした『オチケン!』(二〇〇七年。現・PHP文芸文庫)の連作も手がけている。「お仕事小説」の趣向とミステリーの要素を合体させたのが、田中啓文『笑酔亭梅寿謎解噺』(二〇〇四年。『ハナシがちがう! 笑酔亭梅寿謎解噺』と改題して現・集英社文庫)に始まるシリーズだ。これも若手落語家の修業話としてすこぶるおもしろい(作中に登場する破天荒な落語家・笑酔亭梅寿のモデルは仁鶴、鶴光、鶴瓶などの師匠として知られる六代目笑福亭松鶴である)。また、河合莞爾『粗忽長屋の殺人』(光文社)は、熊さん、八っつぁん、ご隠居さん、といった落語の登場人物の間で起きる事件を描いた珍しいミステリーである。
こうした落語・演芸ミステリーの系譜に〈神楽坂謎ばなし〉も連なるのである。芸人の生き方や落語の噺の構造などを主題とするものは以前にもあったが、寄席という場所自体を中心に据えた作品は本シリーズが初めてと言っていいだろう。白い画布の上にどのような謎、いかなる人生模様が描かれていくことになるのか、注目していきたい。また、どのような芸の世界が題材に取り上げられるか、という興味もある。予想を申し上げると、一作目では落語、二作目では色物と呼ばれる中から手妻と太神楽が登場したので、三作目は三味線漫談などの音曲師ではないかと思うのだが、いかがだろうか。
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