野口卓さんは、あたしの隔月の独演会に毎回おいで下さって、いつも優しい笑顔でお帰り戴いている。その野口さんの新作『ご隠居さん』の解説文とのお話で、今度はあたしの方から嬉しい顔をお返しする番だ。
新作の解説の前に、簡単に作者のこれまでに触れさせていただく。
デビュー作『軍鶏(しゃも)侍』に対する驚きは大変なものであった。南国の園瀬(そのせ)藩を舞台にしているが、主人公が軍鶏を飼っており、闘鶏から秘剣を編み出したとの設定である。
闘鶏は一度だけさるお宅で見せて戴いた事があり、その時の情景が鮮やかによみがえった。軍鶏・闘鶏の逐一から、剣術道場の物語へとぐいぐいひきこまれていき、読後は名横綱双葉山が六十九連勝で終わった時の電文「ワレイマダモッケイ(木鶏)タリエズ」の逸話にも思いが至った。
『軍鶏侍』は第六作まで続いており、最近では講釈師や俳諧師も登場して多彩な展開を見せている。単行本の『遊び奉行』も同じ園瀬藩が舞台で、盆踊りに〈踊連〉が出てくるので園瀬の所在地がより鮮明になってきた。文庫本の『猫の椀』は時代小説短編集で、表題の「猫の椀」は落語に「猫の皿」があることもあり、興味津々であった。
別の版元から出た『闇の黒猫』は「北町奉行所朽木組」の副題が示す通り、江戸を舞台とした同心・岡っ引物である。二作目の『隠れ蓑』は〈軍鶏侍〉の六作目『危機』と同月に刊行されており、その健筆ぶりにも驚かされた。
今般の『ご隠居さん』は又々別な書肆(しょし)からの出版とあって、野口卓さんへの引きが如何に強いかという事で、あたしにとっても〈こぼれ幸(さいわ)い〉とも云うべき慶事である。
物語の主人公は、鏡磨(と)ぎ師という特殊な仕事を生業(なりわい)とする職人で、明治になって姿を消したために説明が必要だろう。
昔の鏡は銅製だった。半年くらいで曇って映らなくなるため、鏡磨ぎ職人が得意先を磨いで廻っていた。能登(のと)や富山の氷見(ひみ)のお百姓さんが親方と子方五~六人で組を作り、冬と夏の農閑期に稼ぎ旅に出る。それとは別に、江戸のような大都会では、一人で得意先を廻る老人の鏡磨ぎ職人がいた。
鏡磨ぎは客から白粉(おしろい)、紅、櫛、笄(こうがい)、簪(かんざし)などを頼まれることが多いので、稼ぎ旅の終わりに、江戸や京都の小間物屋でそれらの品を買い求める。
主人公の梟助(きょうすけ)は稼ぎ旅の子方だったが、江戸の小間物屋の一人娘に見初(みそ)められて婿養子になる。頭を抱えたのは義父であった。なにしろ無筆の田舎者を、一人前の商人に仕立てねばならないのだ。仕事に関しては、店は番頭にまかせて義父が付きっきりで教えるが、問題は言葉であった。
番頭に相談すると「だったら寄席がいいでしょう」とのこと。武家、商人、職人などあらゆる人物が落語の主人公なので、それぞれの言葉使いがよくわかる。お礼の述べ方、喧嘩の仕方、謝り方、悔やみの言い方なども覚えられる。また噺家(はなしか)は川柳や狂歌、諺(ことわざ)などを頻繁に引用するので、本音と建て前などが自然に身に着く、なにしろ「寄席は無学者の手習い所」というくらいだ。