「姫路城の大修理が間近で見学できます」
と、担当編集者のH氏が言う。
御存知の通り、国宝姫路城は昭和の大修理から約半世紀経ち、平成21年から再度の大修理期間に入っている。巨大な覆いが天守閣全体にすっぽり被せられ、見学スペースも作られているが、今回は通常の観覧コースよりもっと奥まで入ることができるという。
物書き商売をしていると、時折こういうありがたい目に会うことがある。一も二もなくその企画に飛びついた。このH氏は大の城マニアで、同好の士を集めては年に何度か地方の城巡りをしている。私も何度かその仲間に混ぜて貰うという恩恵に浴していた。
が、この時ばかりは「姫路」と聞いて別の期待も抱いた。
(うまくいけば、姫路明珍<みょうちん>家の見学が出来るかもしれない)
姫路明珍家は、今も残る甲冑鍛冶の家柄である。ちょうど当社の短編集『本朝甲冑奇談』の書き下し部分をどう組み立てようか悩んでいたところでもあり、これは良いヒントが得られそうだ、と密かに北叟笑(ほくそえ)んだ。
姫路には昼に着いた。まず食事ということで、あなご重など食べながら市の教育委員会事務局理事岡本さんに、恐る恐るこちらの取材意図を伝えると、意外にもあっさりと、
「明日、御案内しましょうか」
と言って下さった。それから城に上ったのだが、石垣や縄張りには目が行かない。展示されている瓦留めの釘・天守の心柱を巻く鉄の箍(たが)などに、自然興味の矛先(ほこさき)が向いてしまうのである。
(我ながら妙な鍛冶狂いだな)
と思った。しかし、これだけ巨大な城閣の建築には、石工番匠(いしくばんしょう)ばかりか、莫大な量の工具や金属材を供給する鍛冶師の存在も欠かせない。たとえば、姫路城大天守の釘隠(くぎかくし)ひとつとってみても、一番単純な饅頭型は152個もあり、六葉(ろくよう)型という武骨な釘隠に至っては493個も用意されている。慶長14年(1609)池田輝政が建てて以来、この城は江戸期にも数度の大改修を行ってきた。城下の鍛冶師、姫路明珍家も、その工事に無縁ではいられない。