そんな話に触れるたび、かっこよく歳をとっていくことの何がいけないんだい? と思えてしかたがないわけです。人間の身体なんてしょせん、時間の流れには抗えない肉の袋ですから(笑)。シミだってシワだって熟成のためのいい出汁になるはずでしょう?
成熟した美の価値観を育むのには、男性たちが大人になるのが早そう。そう思う一方で、もしかすると日本の女性たちの男性観を広げる方が、処方箋としては「効く」のかもしれないと思うようになったのも確かなのです。
というのも、日本の女性たちもまた、画一的な男性観に捉われているのでは、と思うことが多いから。新しい恋愛を探す女性たちにも、婚活する女性たちにも、いい男性の価値観をぐっと広げてみなさいよ、とお節介を言いたくなる。変人だって付き合ってみればものすごく面白いかもしれないですから。
そんなわけで、古代ローマ人をはじめ、死んでしまった男たちに惚れている歴の長い私が、「こんなカッコいい男たちがいるよ!」と手ほどきをするような気持ちで語り下ろしたのが本書なのです。
「古代ローマ」的男性を増やしたい
たとえば、政治家にして芸術家肌のハドリアヌス帝。全37巻からなる大著『博物誌』を記した大プリニウス。暗黒の中世時代にルネサンスを先駆けたフェデリーコ2世、数多くの聖母子像を手がけたラファエロ、そしてスティーブ・ジョブズや安部公房まで。
私が惚れた男たちを語っていくと、時代も国もバラバラながら、そこには「古代ローマ」的ともいえる特徴が浮かび上がってきました。といっても、私が意味するのは、みなさんが古代ローマと聞いて思い浮かべられるであろう、質実剛健で完璧なバランスを持つカエサルなどとはちょっと違います。喩えていえば、陽気で大食漢でちょっとお腹も出ていて、未知のものにどんどん首をつっこんでいくおしゃべり好きのおじさんのような男たちなのです。
『テルマエ・ロマエ』のルシウスを筆頭に私が理想と考える古代ローマ的男性がもっと世に増えたなら、日本にもきっとルネサンスの風が吹き始めるはず。その時代の常識に照らしてみれば、規格外ともいえる男性たちかもしれません。でも、「空想」をしょって、なおかつ具現化できる技術をもった、ボーダレスな「古代ローマ」的男性がルネサンスには不可欠なのです。
そうして彼らの魅力を語ってみると、不思議と日本という環境には飽き足りず、思い切って外に飛び出してみた私自身の軌跡を振り返ることにもなりました。「いまここ」だけではなく、時空間を超えて想像力をはばたかせてみる。本書がそんなきっかけになったら嬉しいです。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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