――人は彼女を淫乱だとか、欲深い女だとか、地雷女などというけれど、自分に正直に生きれば、誰でもそうなる。
若い女性の不満のひとつに「私たちにはロールモデルがいない」というものがある。男には坂本龍馬だとか、スティーブ・ジョブスだとかがいて、彼らの生き様が自分の人生の手本となってくれるのに、女の私には、そういう存在がいない、と。
すでにキャリア&人格的に素晴らしい女性は大勢いるのに、なぜ? と思われるのだが、女というものは、理想とするロールモデルに、相手の男あっての恋愛や結婚、子育てなどでも華々しい成功を納めてほしいと考えるのだ。ご存じの通り、この部分は自分の実力や性格とは関係ない運、のみ。それに加えて、現実的にそのあたりの幸福も求めるとなると、どうしても生き方に「妥協」というものが入ってくる。
妥協が入った人生はカッコよくはない。「キャリアも恋愛も結婚もそこそこ」という、女性タレント同様で、そうなると「どうせ、アンタはいいとこ取りで、他人様にチヤホヤされたいんでしょ」という失望が必ず混ざり込む。しかして、女性はロールモデルがいない、と愚痴るのだ。
ならば、本書の主人公、傾国子女こと千春の生き方はどうか? 彼女は一般的に女の幸せに繋がる「妥協」というものとは無縁の人生をおくる。妥協とお得を天秤にかけ、取引きし、既得権のキープを願ってしかるべきところを、そうしないで、自分の感情と「決して、自分を安売りしちゃいけないよ」という父親から刻み込まれたモラルに従って、突き進んでいくのだ。
実はこの手の主人公は、ドラマ化もされた銀座のママの一代記漫画『女帝』など、最近人気のあるヒロイン像でもある。確かに、千春が人身売買同然に権力のある男に引き渡されつつも、彼らの所有物にはならない前半は、胸がスカッとする堂々たるピカレスク・ヒロインぶりだ。だが、著者は彼女をそういった、単純なファンタジーの勝利者には置いておかない。彼女は栄華の頂点で、そのステージを用意してくれた男の権力社会によって過酷な追放を受ける。その先に待ち受けていたのは、同棲中の男の借金を返すためのソープ嬢稼業、息子のために刃傷沙汰を起こしての女囚暮らし、など、地獄巡りとも言っていいほどの状況だ。
しかし、千春はそのハードな現実を、海外旅行先で財布が盗難される→現地の警察に行って、しかるべき処置をしてもらう、といった「問題解決のリアル合理性」でもって逞しく渡っていく。そして、いま書いていて気がついたのだが、千春の「好色一代女トゥデイ」のごとくの男遍歴は、まるで旅のようだ。旅の快楽とは、圧倒的に力のあるアウェイに自分のモードをチューニングさせた上で、何が自分にもたらされるのかの賭けと快楽なのだが、彼女の生き方は、まさにそれ。どんな不測の事態が来ても、旅を続けようとする自由な旅人のようでもあるのだ。
そういった千春の生き方は、断然、女のロールモデル性を帯びていく。絵に描いたような悲惨な現実に、めげることない生き方。既得権のルールやそこが要求するものから外れても、そこで私は充分生きていける、と。そのあたりは、意志の力で這い上がることもできるのに、死ぬことだけが楽しみのホームレスになり果てた、かつての愛人の大学教授や、安酒場でダラダラと余生を消費するだけの父親との対比が鮮やかだ。彼らは、自分が堕ちた現実を正視したとたんに男のプライドが砕け散るのを知っている。だから引きこもり、緩慢な死を選ぼうとするのであるが、その脆弱さに比べ、千春の生々流転とその現実にきっちりと落とし前をつけていく=問題を終わらせる、エネルギーと才覚は感動的だ。
すでにこの時代の日本に住む女たちは、妥協して先方のルールに従っていれば、お気楽に生きていけるという男社会の楽園からは追放されている(というか楽園の方が恐ろしい勢いで崩壊中)。先に待っているのは、カッコいい物語だけではない。千春が受けたような地獄巡りもこれから女性たちはいろんな形で経験するだろうが、どんな場合でも、“私”の心に沸き上がった感情と行動、そしてその落とし前だけつければ、大丈夫。この作品は、現代の「女大学」のような教訓書にも思えてくる。
ちなみに、千春の地獄巡りが、アメリカの息がかかり「売国奴」と噂される総理候補の議員に刃を向けたときから始まる、という展開は、著者による“見立て”を感じる。「本土が他の侵略を受けなかったがゆえの、従順で生産性の高い国民と、豊かな自然に文化を持つ魅力的な国」=主人公が生き残るには、大国の力に守られて、その意のままに生きていかなければならない、という苦い現実。
千春は地獄巡りの先に、安寧を得る。この筆致は紋切り型ではなくリアルなハッピーエンドだ。栄華も艱難もすべては過去の時の中。上等な女の人生とは、どういったものなのかを考えさせてくれる一作だ。
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