普通の人の感覚を失わなかった素直なひと
『無双の花』をオール讀物で連載するにあたり、柳川の立花家史料館史料室をお訪ねして植野かおり室長にさまざまおうかがいした。
立花家の歴史に精通しておられる植野室長のお話でわかったのは、宗茂が「普通の人の感覚を失わなかった素直なひと」であったということだ。
流浪する宗茂に旧家臣たちが付き従い、主人の暮らしを立てるために虚無僧などに身をやつして、ともに辛苦の日々を送った。ある日、稼ぎに出かけている間に雨が降り出し、庭に干していた〈干し飯〉が濡れてしまうのを家臣たちは心配する。
家臣のひとりが「殿が気づいて濡れぬようにしてくだされておるであろうか」と漏らすと、「いや、さようなことに気づかれるようでは、殿は浪人のまま一生を終わり、大名に戻られることはないぞ」と口を挟む者がいた。
家に戻ってみると、はたして宗茂は干し飯が雨に濡れるのにも気づかない様子で書見をしていた。家臣たちはほっとして涙を流したという。宗茂の浪々時代のエピソードにはひとの心の温もりが感じられる。
弱肉強食の戦国時代に不遇をかこちながら、ひとを恨まず、妬まず、自分の生き方を貫けるというのはかなり稀なことだと思える。
宗茂は、ひとの記憶に残る鮮やかな生き方をした真田幸村、伊達政宗と同じ年の生まれだという。ともに優れた武将であるが、九度山で永年、幽閉生活を送り、大坂の陣で花と散った幸村や、野心横溢(おういつ)して徳川幕府から常に警戒の目で見られた政宗に比べ、宗茂は淡々とした生き様を見せた。実直な心構えで生き、しかも運命を切り開いて、浪々の身の上から大名に返り咲くという離れ業をやってのけた。
真面目に自分の人生と向き合った者が報われるという「奇跡」が宗茂の生涯にはあった。数多(あまた)いる戦国武将の中でも現代人がかくありたいと願うのは、宗茂なのではないか。その生き方こそが、宗茂の咲かせた「無双の花」だったと思う。