2014年11月10日、俳優の高倉健氏が亡くなった。私は高校生の頃から健さんの映画をよく見ている。当時見た映画で、現在はなかなか見ることができない映画がいくつかある。その筆頭が、「三代目襲名」(東映、1974年)だ。前作の「山口組三代目」(東映、1973年)とともに高倉健氏が山口組三代目の田岡一雄組長の役を演じている。アウトローの世界を知るための貴重な資料でもあるのだが、DVD化されていない(VHSにはなっている)。「山口組三代目」は、有料ネットで見ることができるが、「三代目襲名」はそれもできない。恐らく、映画の内容が警察の暴力団対策と正面からぶつかるので、関係者が自主規制しているのだろう。
高倉健氏が演じている知られざる名画もある。例えば、「二・二六事件 脱出」(ニュー東映、1962年)だ。国家改造を主張する陸軍青年将校が、1936年2月26日未明、総理官邸、総理公邸(官邸に連結する住居部分)、警視庁などを襲撃する。当初、総理は暗殺されたものと思われていた。襲撃時の混乱にまぎれて殺されたのは総理の義弟で、総理は公邸の女中部屋の押し入れに隠れていることを憲兵がつかむ。憲兵隊上層部は、クーデターの成否がわからぬ状況で、総理生存の情報を黙殺しようとしたが、高倉健が扮する憲兵隊特高班長の小宮曹長が部下二人とともに総理救出の秘密工作を行う。手に汗握るサスペンス映画だ。私はこの映画を2014年春に偶然見た。ちょうどその頃、iPadを購入した。原稿を書いているうちに疲れがたまって「もうこれ以上書けない」という状態になったときiPadで映画やテレビドラマを見るようにしている。ロシアやイギリスの映画を見ることが多いのだが、何となく二・二六事件に関する映画で、これまで見たことがない映画があるかチェックするとDMMの有料サイトに「二・二六事件 脱出」があった。二・二六事件関係の映画はほとんど見ているが、いずれも決起した正義感の強い青年将校に同情的だ。ところが、この映画は視座がまったく異なる。独り善がりの正義感に突き動かされた夜郎自大な青年将校に対峙して、法秩序、社会秩序を守ろうとする憲兵隊という構成になっている。また、総理官邸(1929年に完成した旧総理官邸、2002年に現総理官邸ができた)のセットが実に良くできているのでリアリティがある。私は、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗の3総理の時代に、ロシア情勢について説明するために100回以上、総理官邸を訪れたことがあるので、迷路のように入り組んだ官邸の構図をよく覚えている。テレビドラマや映画で総理官邸が出てくる場合、建物の構造がかなり単純化されているが「二・二六事件 脱出」については、実に精確だ。さらに千葉真一氏が扮する篠原上等兵、三國連太郎氏が扮する速水総理秘書官の演技が見事だ。私は、二・二六事件について、他の映画と全く逆の内容となっているこの作品の原作に興味をもった。映画の字幕に原作・小坂慶助『特高』と出ているので、早速、「日本の古本屋」のサイトでこの本を探して購入した。
映画では、小宮曹長となっている当時、麹町憲兵分隊の特高主任(班長)だった小坂慶助氏が著者で、役所の調書を読みやすく書き直したものと思われる当事者手記だった。貴重な昭和史の資料である。小坂氏は、下士官の曹長に過ぎないが、人脈は政財界、軍幹部に及んでいる。「余人を持って代え難い」タイプのインテリジェンス・オフィサーだったのであろう。文章も説得力がある。ただし、かつて外務省でインテリジェンス業務に従事した経験のある私には、本書に「書かれていない部分」が気になる。「神は細部に宿り給う」というので、本書のテキストから興味深い部分を引用して、書かれていない部分について考えてみよう。
本稿は「解説」の一部抜粋です。全文は本書巻末に収録されています。
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