──今度の新作『鷺と雪』で、良家のお嬢様の「わたし」と才色兼備の女性運転手ベッキーさんが活躍するシリーズも、ついに完結ですね。
北村 大団円(笑)。当初から行こうとしていたところに着地し、言わせようと思っていたセリフも過不足なく言わせることができました。
──五・一五事件の年(一九三二年)に幕を開けた物語の着地点がどこかは、第一作『街の灯(ひ)』の単行本に併録された著者インタビューで予告されていたとおり。
北村 二・二六事件の年(一九三六年)に終わる、と。
──昭和初期の上流社会を物語の背景にした狙いはどこにあったのでしょう?
北村 今も「格差」ということが言われますけれど、その当時はやはり貧富の差が今とは比べものにならないくらいありました。現在の世界の情勢の中で、相対的にいえば日本は、アフリカとかあるいは各地の戦乱の中におかれている人たちと比べれば、ひとつの別天地にいることは確かでしょう。そういうことを考え合わせると、当時の富裕階級というものが、ある意味、現代のわれわれの立場に重なるんじゃないかと。
加えて、人間というものは金魚鉢の中にいる金魚のようなもので、“今いる水”は見えません。どうしてわれわれが「歴史」を学ぶのかということにも関わってくるんでしょうけれど、要するに、過去は見える。しかし登場人物たちは、これから十年後に世界がどうなってゆくかわからないわけです。一方、われわれは「歴史」を知っている。描かれた時代が過去であるからこそ、作中の登場人物の運命を知りつつ読むことによって、作者は語っていないんだけれど伝えられる部分があるということです。
──語り手の「わたし」とベッキーさんのシリーズは、第一作の『街の灯』、直木賞候補にもなった第二作『玻璃(はり)の天』ときて、この『鷺と雪』ということになりますが、当初から描き込まれてきた伏線がぴたぴたと決まって、悲劇的でいて幻想味にあふれたラストシーンに行き着きます。シリーズ全体の構想は、当初から固まっていたのでしょうか?